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『天使がピークに舞い降りた』‐See you again next 912!‐
(text&photo by プリシラ・タン)
この夏の香港は地元の人も不思議に思うほど涼しかったそうです。9月12日の朝も曇り空。なんとか雨だけは降らないでと願いつつ、ビクトリアピークに到着。「山頂の約定」の会場であるマダムタッソー蝋人形館の入口には、9時を過ぎた頃から参加者の列ができ始めました。スタッフが各自の入場証を確認すると、プログラムなどが入った袋を手渡してくれます。レスリーの笑顔入りの団扇、誕生会で歌う2曲の歌詞カード、抽選番号つき昼食券などが入っています。プログラムの表紙を飾るレスリーの柔らかな笑顔に、思わずニッコリ。さらに参加者のほとんどが紅色を身につけているせいか、明るい雰囲気に包まれています。
哥哥生日會 9:45am
誕生会の会場は、レスリーが待つ「偉人殿堂」。ステージ中央にレスリー、その左側には香港の男性スタッフ、韓国、日本、中国の女性スタッフが並び、それぞれの言葉で次々に進行して行きます。日本のスタッフは、Frannyさんです。まずは、この日のために製作されたレスリーの等身大切り紙細工のお披露目です。「金枝玉葉」のタキシード姿で立つレスリーがステージ右手に現れました。蝋人形のレスリーと、切り紙細工のレスリーが並んだ形になります。そして、イチゴののったケーキとともにレスリー48歳の誕生日を祝福。左手の大型ビジョンからは「ハッピーバースデー!」の声とともに、誕生日を祝ってもらってニコニコ顔のレスリーの様々な映像が流れます。もちろん『ブエノスアイレス〜摂氏零度』のあの場面も流れます。この時ばかりは、なぜここにあなたがいないんだよ、という寂寥感に襲われ、涙があふれました。そして、この日のために用意して下さった「Rainbow
in my soul」そして、何度もレスリーと合唱した「月亮代表我的心」を全員で歌います。大型ビジョンからは、レスリーの笑顔ばかりが流れます。その後は、それぞれがレスリーと記念撮影をしたりして自由に過ごしました。繰り返し流される「Rainbow
in my soul」「月亮代表我的心」の映像の前は、じっとレスリーの笑顔を見つめながら立ち尽くす人であふれていました。
回到80年代 11:00am −3:00pm
会場をレストラン「モーベンピック・マルシェ」に移し、次のプログラムが始まります。このレストランは、入ってみると中はとても広く、ちょうど半月型のピークタワーの東端に位置することがわかります。大型ビジョンが3台設置され、それぞれの前に椅子が100個近く並べられています。合間には、テーブルも置かれ、一番奥の壁には、若かりしレスリーの顔をプリントした大きなバナーが何枚も飾られています。こちらは1枚300ドルで、購入希望の人は、入場証の番号を申請します。大型ビジョンには、レスリーのMTVが次々と流れ、誰もがその映像に釘づけです。
まず香港のファン2名が、レスリーに実際会った時のエピソードを語ってくれます。
大型ビジョンには、韓国語、日本語、北京語でおよその内容が文字で表示され、会場にいる誰もがわかるように準備されていました。この辺りのスタッフの心配りには本当に頭が下がります。香港ならではのいろいろなエピソードがありましたが、私の心に一番残ったのは、「覇王別姫」の撮影時の話でした。「北京で会いましょうよと約束を交わし、実際に北京に滞在するレスリーを訪ね、一緒にお茶を飲みながらいろいろと話しをしたの。レスリーは私たちのために虞姫姿の写真を用意し、裏にはサインをして一人一人に手渡してくれたの」。えっ!レスリーと約束?その言葉に、あああ羨ましい〜という想いが沸くと同時に、その約束をごく自然に果たし、おまけに自分の一番美しい写真を用意して待っているレスリーの誠実さに、やられてしまいました。
11時半頃からランチタイムが始まります。ビュッフェ形式で、好きなものをお皿一杯に盛りつけると、すわっていた椅子のそばにあるテーブルでそれぞれが食べ始めます。ビュッフェは、どれを食べようかと選ぶのに困るほど盛りだくさんのメニューです。私のテーブルでは、香港や韓国のファンが寿司や焼き鳥を実においしそうに食べています。「レスリーのコンサートは何回位行ったの?」と隣に座るハーミアに尋ねると、「ほとんど全部よ!ホンハムのすぐ傍に住んでいるから、いつでもレスリーを見ていたの」と両手で双眼鏡を覗くしぐさをします。「ええ!ほとんど全部!」。彼女は、80年代のレスリーが大好きなのだ、と熱く語ります。韓国から来ていたジュンは、それを聞きながら「私は大学の勉強が忙しくて、結局コンサートは一回も行けなかったのよ!」と、ちょっと悔しそうに話します。つたない英語ではありますが、語りたいこと、伝えたいことがあると、コミュニケーションは案外スムーズです。とは言っても、錆びついた頭の奥底から英単語を引っ張り出すのに、私は大わらわでした。
午後1時になると80年代のレスリーを編集した映像がスタート。若々しいレスリーの姿に、会場は大きな声援に包まれます。私にとってレスリーの80年代は、少しづつ遡ってようやくたどり着いたという感覚がありましたが、この時代を共に過ごした香港のファンにとっては、レスリーが頂点に駆け上がっていく時を自分たちが支えていたという特別な想いがあったのでしょう。まるでコンサート会場のような興奮状態です。
80年代の映像が終わると、次は、日本、韓国、台湾にレスリーが初めて登場した時の映像です。日本では、86年の「24時間テレビ」で初めてお目見えしたのですね!。1曲はレスリーだけで歌い、2曲目はなんとアニタとのデュエットです。初めて目にするこの映像には息を呑みました。韓国での映像が流れると会場の韓国のファンはすごい盛りあがりです。参加人数こそ少ないながら、その団結力と存在感はすごいものがありました。この他、MTVの冒頭のシーンだけを流して、曲名を当てるといったクイズなどが続き、それぞれに心から楽しんでいるように思えました。
映像が終わった後は、参加者のうち50名にだけ当たるレスリーポストカードを巡る抽選会です。広東語、ハングル語、日本語、北京語の順に当選した番号が読み上げられます。日本のスタッフはNaomiさんです。この時も、韓国のファンは自分の番号だとわかるやいなや、「キャー!!!」とピョンピョン飛び跳ねながら受け取りに行き、中の写真を見てはまた「キャー!!!」と実に楽しげ。横にいた私まで嬉しくなってしまいます。ちなみにクジ運のメチャメチャ悪い私も、どういうわけがポストカードを手にする幸運に恵まれ、テーブルで思わずガッツポーズ。ハーミヤやジュンも拍手で祝福してくれました。ポストカードをもらって得意気に戻ってくると、「見せて、見せて」と手が伸びてきます。全部で10枚のポストカードが入っていて、そのうちの7枚は京都で撮影されたもの。どれも実に素敵な表情のレスリーです。とっても良い記念になりました。でも、この抽選にはずれたからと言ってがっかりする必要はありませんでした。韓国のファンがわざわざ持ってきてくれたレスリーのポスターが抽選にはずれた人全員に用意されていたのです。これもまたまた羨ましくなってしまうレスリーの姿でした。
最後は、壁に貼られたバナーを巡る抽選が行われ、当たった人たちはそれぞれの手にレスリーを抱きながらホクホク顔です。ここからは、しばらくの休憩タイムです。ピークタワーの外に出ると、中央のスペースにはすでにステージが設営されており、パッション再現のための大画面が目に入ってきました。いつの間にこんなりっぱな会場ができあがったのでしょう。空もだいぶ明るくなっています。これなら、きっと雨は降らないな、と胸をなでおろします。ピーク・ギャレリアの右手のテント内では、「張國榮的時光」「春光乍洩」「Red
Card」などが販売されており、長い列ができています。ハーミアと一緒に最後尾につきます。「春光乍洩」の表紙は、以前に買ったものと同じです。ハーミアに「何が違うの?」とたずねると「まず、ハードカバーだし、前の本には入っていない写真がいっぱいよ」ときっぱり。結局、「張國榮的時光」と「春光乍洩」に2冊を購入しました。買えるといいなあ、と密かに思っていた「張國榮的時光」発売記念の大型ポスターは、あっという間にすべてが売り切れていました、残念。
繼續張國榮・繼續紅 4:00pm −6:00pm
4時からは、「繼續張國榮藝術工程」(継続レスリー・チャン アーティスティック・プロジェクト)始動のセレモニーです。野外に設置されたステージ上で、あらためて等身大切り紙細工のお披露目、「Red
Card」の販売による「児童癌病基金」への募金などが行われました。この時は、広東語のみの進行だったため、どなたがステージ上で話されているのかわからなかったのですが、あとで新聞を見てみるとカレンモクさんのお母様もいらしたようです。そして、スタッフが全員に赤い風船を配り始めます。「願いの風船」を一斉に空に向かって飛ばす時間がやってきました。おのおのの手に握られた赤い風船を「せ〜の!」で大空に向かって放ちます。下からみていると、みるみる赤い点が小さくなっていきます。ああ、この風景を上からみたいなあ、レスリーは上から見ているのだろうなあ。どんな風に見えるのかなあ、としばらくは小さくなっていく風船を追いながら天を仰いでいました。
次に始まったのは、「レスリーファン常識問題・商品つきゲーム」。「金像奨最優秀主演男優賞をとった作品は?」「日本ではコンサートを全部で何回開催した?」などの質問が次々と読み上げられます。日本語で読み上げてくれたのは、Naomiさんです。正解するとレスリーの特大ポスターなどの豪華賞品がもらえるので、みんな団扇を握り締めて「ハイ!ハイ!」と懸命に指名されようと声をあげています。
そんな楽しいゲームタイムが終了すると、残されたプログラムは、「熱情再現」のみとなりました。7時まで休憩タイムです。ほんの少し足が疲れたのでハーミヤとカフェに入りました。またまたレスリー話の続きです。話の流れから「去年の4月はどうしていたの?」とたずねると「お葬式は行かなかったけれど、マンダリンホテルには行った。レスリーがなぜ死んでしまったか、あの時もわからなかったけど、今もわからない。この先もずっとわからないだろうと思う」と、とても静かな口調で語ります。私の心境もほとんど同じでした。それに、少しづつではありますが、「わからないこと」にそれほど苛立ちを感じなくなってきたように思います。わかろうとすることに、あまり意味を感じなくなってきたとでもいうのでしょうか。
6時を過ぎてカフェから出ようとした時、それまでスタッフとして奔走されていたFranny
さんとNaomiさんに行き会いました。お二人が向けてくれた笑顔が暖かく、とっても晴れやかだったので、その瞬間「ああ、このイベントは大成功なんだな」という確信が心に沸いてきました。「おつかれさまです」、そんな平板な言葉しか私には返せませんでしたが、この日を迎えるまでにご尽力下さった、すべてのスタッフに心から感謝した瞬間でもありました。
6時半を過ぎた頃には、会場に入るための列ができ始め、入口で「Red Card」を提示して次々と中に入って行きます。あたりは、夕闇に包まれ、時折吹く涼しい風が実に気持ち良く感じられます。入場した後は、みんな体育座りで開始を待ちます。この日、他の会場で開催されたイベントに参加していた人達もどんどんピークに集まって来ているはずです。会場の周りは何重にも人垣ができ、すでに蛍光棒を振り始めています。何人くらいが集まっているのでしょう。どうやら、雨の心配はなさそうです。
熱情再現 7:00pm −9:30pm
7時半。いよいよパッション再現のスタートです。レスリーの「Are you ready?」の声と同時に「10、9、8、… 3、2、1」のカウントダウン。画面は2000年8月香港コロシアム。天使の姿のレスリーが現れました。みんな悲鳴のようにレスリーの名前を呼び続けます。初めて香港コロシアムでこの目でレスリーをみた日のこと、ジャパンツアーの幕が横浜で上がった日のこと、そして2001年4月、再び香港コロシアムに渡った日のこと、パッションツアーと共に流れた熱い熱い時間が、一瞬のうちに頭を駆け巡り、今、ここビクトリアピークで再び天使と出会ったことで、何かが昇華して行ったような想いにかられました。香港コロシアムでの声援に負けないものすごい掛け声と蛍光棒の光です。前半は静かにすわってみていたファンも、お着替えタイムが終わって「無心睡眠」の叩きつけるようなドラム音が響くと「もうがまんできないよ!」という感じで立ちあがります。跳びはね、踊り、歌って、「哥哥!哥哥!」「レスリー!レスリー!」を連呼します。この時間が永遠に続いてくれればいいな、と思ったほど熱く濃密な時が過ぎていきました。レスリーが最後の「我」を歌い始めます。そこにいる全員が共に歌っているほどの声が、ピークに響き渡っています。やがて、歌が終わりレスリーの姿が画面から消えます。
どこかで、「ハッピーバースデー哥哥!」を歌う声が聞こえてきます。「終わっちゃったね」とハーミアと顔を見合わせます。今日初めて会ったのに、ずっと昔からの朋友のような気がふとしました。「会えて嬉しかったよ〜絶対また来年ここで会おうね」とガッチリ握手をして、それぞれの帰路に着きました。
長い列ができたピークトラムにようやく乗り込んで椅子にすわると、初めて自分がものすごく疲れていることに気がつきました。思えば12時間以上ピークにいたことになります。それでも、ピークトラムを降りると金鐘駅を目指して歩き始めます。香港公園の向こうに、オーバル型のコンラッドホテルのシルエットが見えてきました。レスリーが好んでお茶を飲んでいたというこのホテルを遠くに見ながら、気持ちはとても晴れやかでした。
去年の9月、同じ時期に香港へ渡った際には、それまでぼんやりと抱えていた「喪失感」を、心の奥底にドスンと突き付けられたような重さがありました。でも、今年は何かが違います。「ココにまた来ればいい」そんな安心感が胸の中に沸いてきます。
翌朝、ホテルのカフェでみた新聞には、912のことが大きく報じられていました。私がこの目で見たかった、赤い風船が空に飛び立つ様子も載っています。レスリーがいないという悲しみや苦しみが消えることはありません。ただ、「喪失感」とは裏腹に、私たちはレスリーを失ったのではない、という想いがかすかに沸いてきました。この1年半抱くことのなかった感覚、とでも言うのでしょうか。「これからも…」という確固たる想い、それがもしかしたら「繼續張國榮・繼續紅」の意味合いなのかもしれないな、そんなことを考えながら新聞に再び目を落としていました。
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