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![]() 本日はこのように意義あるイベントに参加する機会を持てて、大変嬉しく思っています。実はこのようなファン・イベントというものに参加したのは初めてです。 明報周刊という雑誌をみなさんがご覧になったことがあるかどうかはわかりませんが、香港では37年の歴史があります(会場より拍手)。そしてその37年の中で、香港全体の芸能界の足跡を見つめてまいりました。社員の中には、レスリーと同じように、長年ずっと香港芸能界に携わってきた者もおります。例えば明報周刊に勤めて20数年という同僚もおり、ずっとレスリーの成長を見守ってきました。ですから、その感覚というものは、単なる取材者と被取材者という立場ではなく、お互いに信用の置ける友人のような関係です。私自身で言いますと、元々はそれほどレスリーと親しいわけではありませんでした。言うなれば、オフィシャルな場面で、私は明報周刊の代表として、握手をして写真をとる、という程度でした。しかし実際に親しく付き合うようになったのは、最後のコンサートであるパッション・ツアーの時からです。香港の芸能界を報道する者として、私は同僚達にはできるだけコンサートなどを見るように勧めていましたが、私自身は仕事の多忙さなどでなかなか足を運べなかったものですから。 そしてある夜、非常に遅い時間に、電話がかかってきました。私の同僚からでした。彼は私に、すぐレスリーのマネージャであるフローレンス・チャンに電話をしろと、我々が絶対にやらなければならないことがあるから、と言いました。そして私はフローレンスに電話をして、どんなことでしょうか、と聞きました。すると彼女は、パッション・コンサートをスタートして以来、香港のメディアの反応がとてもひどい、このことはレスリーに非常に大きな影響を与えている。というのも、レスリー自身の考えでは、このパフォーマンスは非常によいものであり、それなのにこのようなマイナスの評価が出ている、どこに問題があるのか分からない。それで、我々に、コンサートを見て、客観的な目で見た意見を出してもらいたい、ということでした。 それでその翌日すぐに私自身が、コンサートを見にいきました。その日、楽屋へ入っていったときの感じを良く覚えています。というのは、普段だと、コンサートの楽屋は、非常に熱気に満ち、みんな嬉しそうな雰囲気に満ちているものなのです。しかしあの日の楽屋は、非常に緊張した雰囲気でした。沈んで、みなが心配そうな感じでした。通常ですと、楽屋には、友人などがお祝いに来ているのですが、あの夜は、コンサート開催側のトップまでもみんなが非常に心配した面持ちでした。その原因は、マスコミのこれらのマイナス報道によって、彼のパフォーマンスが、今後のコンサート、例えば中国公演の許可や現地の観客に影響するのではないか、と心配していました。 コンサート終了後の楽屋で、レスリーに言った言葉を覚えています。コンサートを見させてもらったけれど、このコンサートは、今日まで見た中で一番すばらしいパフォーマンスだった、もし問題があるとしたら、あなたにあるんじゃない、香港のある一部にあるのだ、と言いました。しかしどんなに言おうと、その時、コンサート・スタッフ、そしてレスリー、フローレンス皆の心の中には、非常に大きなプレッシャーがありました。というのは、中国の教授クラスのコンサートに関する専門家が、非常に心配するようなコメントを出していました。その結果、中国側の要望にあわせるために、コンサートの内容について多くの変更が必要になりました。例えばそれは長髪やスカートなどです。レスリーをより深く知るにつれて分かってきた彼の完璧主義さから言えば、このような変更は正に不本意であろうと思いました。しかしその当時の状況では、否応無く受け入れなければならないものでした。そこで我々「明報周刊」の責任として彼に対する公平な報道をしなければならない、と思いました。レスリーはこれを彼と明報周刊との関係によるものだと理解していたとは思いますが、しかし我々にとっては、ただ親しい間柄だからというだけでなく、プロとして、正しい報道をしようとしただけなのです。 そしてレスリーは日本に、中国の後の、日本でのパフォーマンスの為にやってきました。彼は私に一緒に行こうと誘ってくれました。日本でなら、時間がとれるから、一緒にもっといろんな話ができると。それで私も一緒に日本に来て、日本公演を見ました。その時私が見て取れたのは、確固たる自分の意見を持っているレスリーは、完璧主義者であり、自分の仕事に対しても大きな自信を持っている人です。しかしここでみなさんにお伝えしたいのは、その過程の中で、日本のファンのレスリーへの絶大な支持を、レスリーははっきり明確にわかっていました。 それは、東京から始まって大阪へと日程が進むうち、わたしはずっと一緒に、電車の中で一緒に会話し、見ていましたが、当初は不安定な雰囲気だったのが、だんだんと自信を取り戻していっている、という感じでした。これはコンサートでの観衆のみなさんの反応が彼にとって大きな励みになったからだと思います。このコンサートがきっかけとなって、明報周刊とレスリーの関係はより親密となり、香港に戻ってからも、一緒に飲みに出かけたり、家へご飯を食べに行ったりして、様々な話をしました。そして、明報周刊の創刊周年記念パーティで「演藝動力大奨」表彰式典を開催しましたが、その年の「至敬大奨」はレスリーが受賞しました。我々がその当時、ステージ・デザインそして衣装方面で考えたのは、有名デザイナー、ゴルティエの衣装、その衣装を着て完璧なパフォーマンスというのは、レスリーだけが出来るものだと思ったからです。(会場より拍手) ![]() 当時彼は歌手の仕事だけでなく、映画の仕事も精力的に取り組んでいました。正々堂々と映画を撮りたいと思っていると感じていました。そして一緒に様々な話し、さまざまな映画、監督、俳優について話していました。批評したり、技術的なことについて。しかし、正面から周囲の状況を見たとき、すこし残念に思っていました。それは、当時の周囲の状況と、彼がやりたいと思っている方向性とに隔たりがあったからです。私はずっと、レスリーは完璧主義者であると感じていましたが、彼が完璧性を追求していたのは自分のことだけでなく、周囲の世界に対してもでした。しかし、後者に対して求めるのは、非常に困難が伴うことだと思います。ですから失望も大きいものでした。 レスリーはまた、私が香港の芸能界や音楽界に対して、あまり詳しくないことを知っていて、しょっちゅう、彼の以前の経歴の中の話や、歌を歌ってきた中での気持ちについて話してくれました。その中で特に気になった話は、彼がデビューまもなくの頃、一部のファンから攻撃に近い言動を受けた経験についてでした。それは自分が攻撃を受けることだけにおさまらず、それがもたらすマイナスムードは、ファンの支持を失い、芸能界全体に対しても良くない状態である、ということです。今日ここでみなさんに伝えたいのは、ファンや支持者というのは、一人の芸能人にとって非常に重要なものであり、その重要性は、一人の芸能人だけに留まらず、音楽界全体に影響するものなのです。今日嬉しかったのは、レスリーがいなくなった後も、彼の作品を楽しむ人たちがこんなにたくさんいて、更には彼がいなくなった後でレスリーのファンになった人もいると聞いたことです。香港人の一人として、香港の芸能界とそしてレスリーに関心を持っていただけていることに、お礼を申し上げます。ありがとうございました。 質問:香港におけるレスリーの存在とは? レスリーは一人の、多才多芸なアーティストだと私は思います。彼はいつも自分を「表現者」だと強調していました。ですから、彼は観衆の反応を非常に重視していました。そして、先ほど話すのを忘れていたことがあるので、補足したいと思います。大阪のフェスティバルホールでの公演の時に、リハーサルのあった午後、一緒にロビーに座っていた時、ロビーの壁の上の方に、これまでここで公演を開いたことのある著名人の写真が飾られているのを見ました。クラッシックの指揮者や演奏家の方々の写真、そしてみなさんご存知のアイドルの写真もありました。それで考えたのですが、国際級のアーティストであるレスリーについても、あの会場でのパフォーマンスの写真を記念として飾るために何らかの行動、要望をだすことはできないでしょうか。レスリーも、あの会場でパフォーマンスできたことは、栄誉に思っていると思います。(会場より拍手) (2005.2.20 OSAKA) |
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