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ARE YOU READY FOR 張國榮(P152)
text by JoJo
レスリー・チャンサイバーワールドのwebmasterであり、
20年来の彼のファンである。401eventの主催者でもある。


 "Are you ready?" これは哥哥がサンディ・ラムの「滴汗」を歌った中のセリフで、セクシーなその声は聞く人誰をもとろけさせる。「パッション」コンサートでの衣装替えの影を見せるパフォーマンスでは、観衆をからかって「Are you ready?」と言ったこともある。
コンサートの握手タイムやアップテンポ曲メドレーの前などによく、観衆に「Are you ready?」と聞くのが好きだ。しかし、一体どれだけの人がレスリー・チャンの為に、完璧な準備をできていただろうか?

 70年代末、初めて登場したレスリー張國榮の、西洋的でとんでいて、反逆的で憂鬱と怒りを持ったスタイルは、観衆がそれまで持っていたスターに対するスタイルの枠にはまらないものであり、あの年代の芸能人は純朴で重厚、成熟して落ち着いた、良い子的なものが求められた。基本的には、レスリーのようなアーティストの為の準備はされておらず、また、早期のレスリー自身まだ準備できていない状態で、トレンドに挑戦するだけの本領が不足していたと言える。だからこそ彼は絶えず黙々と上を目指し、発揮するための力を貯め、この閉塞した状況を打ち破る機会を待っていた。

 80年代半ばになり、音楽界の時代が変わり始め、観衆は退屈し、新しい刺激、新しい歌手を求め、日本の文化や歌、アイドルが脚光を浴びた。哥哥のその活力のある奔放、洗練され縛られないスタイルが受け入れられ始め、「MONICA」によって異彩を放ち、千万の寵愛を得たが、しかしまだ完全には水を得た魚となっておらず、率直にものを言う天性の性格が、彼の仕事上の障壁となっていた。

 例えば彼は、テレビ番組で大っぴらに、テレビ局記念番組でのドゥドゥ・チェンのドレスが良くないと批評する度胸を持っていて、曰く「僕は彼女と親しいから、君から彼女に、レスリーがその服良くないからもう着ないほうがいいと言ってる、って伝えて。」 彼はそんな一面がある!
覚えてるのは、86年「勁歌總選」で最多人気男性歌手賞を受賞するという噂が流れた時、記者達から「もし本当ならどう思うか」と尋ねられ、彼は正直に言った。自分は確実に努力をしており賞を貰うに値する、と。この話が伝わるや否や、哥哥はたちまち尊大だと評され、当時は、誰もが気を使って話は3割、芸能人をやるなら謙虚に円満にすることこそ大衆から好まれ、彼の率直な話は完膚なきまでに鞭打たれる事となり、大衆はまだ、レスリーのひとつの「真実」に対し準備できていなかった。

 90年代、真実を求めるジェネレーションが出現し、「本当の自分の個性を出す」という当時のキャッチフレーズの様に、レスリーの本当の自分を率直に話す性格は大衆の受け入れられるところとなった。90年代初めから半ばにかけては、レスリーにとって思い通りの順調さで、映画方面の卓越した実績、更にはカンヌ、オスカーに向けての国際的な活躍がある。93年の「覇王別姫」により日本で脚光を浴びることとなり、実際80年代には「チャイニーズ・ゴーストストーリー」で韓国の女性ファンの心を掴んでおり、更には89年最多人気海外スター第一位に輝いた。全ては無心の結果だった。この2つのマーケットに進出したがっている芸能人には徒労に終わっており、彼の成功は特別な労力を費したものではなく、彼自身が海外での発展に適しているという意見も、無理からぬ事といえる。

 95年に音楽界に復帰し、歌のスタイルも変化して、とても自由で、歌声も軽く柔らかくまるで耳元でささやくよう。依然としてアルバムのセールスも良かったが、しかし、彼の新しい歌い方に対するファンの意見は分かれるところだ。

 当時はいわゆる「完璧な歌手」 「肺の大きな歌手」が、声が良く技巧は優れてても感情が無い。声が大きければ歌が上手いことになるのか?完璧さがどうだろうと、機械的な歌を聞きたいのでは無い!音楽は世界言語であり、中国語が全くわからない海外のファンもいるが、哥哥の歌声からは彼の音楽を感じる事が出来る。インタビューの中で彼は、良い歌手とは「心」で歌い、聴衆はその歌声から歌の中の喜怒哀楽を感じるものだ、と言ったことがある。また林夕の言う「人と歌が一つになる」のが歌うことの最高の境地であり、哥哥は自分の「心」を込めていたが、しかし一部のファンは、依然として80年代の思い出の中に留まっており、この変化に対する準備はできていないようだった。

 歌を歌うことの最高の境地は「人と歌が一つになる」ことであるが、ではステージ上での最高の境地とは?哥哥が私達に言ったのは、「つまり性別は存在せず、雌雄同体であること。」まだ真の意味を味わえる段階ではないかもしれないが、やろうとしても実行できる条件が揃っていなかったり、条件が揃っていても実行する度量がなかったりで、香港では唯一哥哥だけがあらゆる条件を集めることができ、97年コンサートで皆に完璧なお手本を示した。赤いハイヒールと男性二人のタンゴは観衆の目を開かせ、驚かせ、ただ見入っていた。但し、それはまた、保守的な人々からは矢のような論評と争議を引き起こし、この地香港はいつまでも哥哥から10年後れており、日本ではこのコンサートは観衆から充分に受け入れられ、追加公演が必要なほどであった。今では、この赤いハイヒールの前衛的なパフォーマンスは、ステージ上のバイブルとなっている。

 私達の哥哥は過去に寄りかかることをせず、舞台上での雑技に重きを置かず、よってステージの飾りに大金を浪費することもなく、彼が求めたのは新しい舞台の概念を創る事であり、残念ながら香港の観衆の鑑賞水準はまだ、哥哥への準備が出来ていないのだ。

 新世紀が到来し、哥哥は自分への挑戦を継続し、観衆を試験し、すばらしい「パッション・コンサート」では彼の20数年に渡る努力と功績を発揮し、この時は一部の忠実なファンをも考えさせた、10数年見て来た端正な顔が一夜にして180度変化してしまうとは?

 一時的に目は適応できず、あの斬新なステージ概念「天使から悪魔へ」も議論の対象となり、しかし最も恐れたのは、観客の準備がまだだということ、メディアはそれを踏みにじり抹殺する準備があった。「パッション」の哥哥は香港メディアから価値の無いものとと貶められたが、しかし日本のメディアは彼を「天性のパフォーマー」と報道した。これが説明するものは?香港は保守的なあまり、前衛的な周囲から落伍しているのでは?

 このコンサートは、ファンが震撼し、楽しみ、失意、辛さ、百の感情が入り混じった、永遠に忘れられないものである!

 哥哥は本来大衆に属しており、別の道を選ばないのも、おかしな事でも奇異な人間でもなく、ただ、彼の視野が周りより広かっただけで、その視線は一般の芸能人よりも遠くを見通していた。彼は、観衆に新しいものを見せたいと、観衆の見たいものをみせる、それでは永遠に進歩しないのだと、言ったことがある。それだからこそ、彼の進む道は特別難しいのだ。

 林超榮曰く、哥哥はテレビに属さない、大きなスクリーンで大きく映し出してこそ、彼の震撼を感じる事が出来る。香港から外へ出られない芸能人もいるが、哥哥には香港のこの枠は窮屈であり、世界的な大舞台への発展があってしかるべき。だからこそピーター・チャンも「彼はハリウッドに行くべきで、あそこなら彼にちょうど良い。それに香港では、彼の完全主義、私生活、演技、何もかもについて、我々の器が小さすぎるんだ。」と言うのだ。この香港という場所は確実に哥哥に背を向けている。

 リー・ピクワーは散文「生不逢時」で、美しく生まれし者いかに輝くか、例えば当時音楽界にはアラン・タムが、映画界にはチョウ・ユンファがいて、レスリーはいつも「二号さん」的立場を強いられていた、と書いた。確かに「生不逢時(不運)」ではあるが、しかし問題点はアランやユンファではなく、常に哥哥の容姿が実年齢より10歳若く見え、そして常にトレンドの10年先を行っていたことである。

 ジェームズ・ウォンは、哥哥は天からの賜りものである、と言ったが、送られる過程で間違いがあったのかもしれない、もしも正しい時間と場所に送られていれば、哥哥の運命は違っていただろうか?



訳 by Naomi


注意:このページの訳を無断で転載することは堅くお断りします。
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