あなたがいるだけで昨日を語れる(P94)
text by 紅
401イベントスタッフとして各国との渉外をやったCarolのことです^-^ |
70年代の香港に生まれたことは、私の生涯で一番幸運なことだ。普通の人が年月、日、時、分、秒で時間を記す時、私の過去の時間の概念は、ほとんどがレスリーから始まる。
何年何月何日に起こったことかは忘れても、彼の歌が響けば、昔の場面を思い出すことが出来る。私にとって、彼は、記憶の時計の針だ。
為イ尓鍾情
ある年の中国正月、ためたお年玉と引き換えに人生で初めてのカセット「為イ尓鍾情」を手に入れ、レスリーが自由で高らかに:「誓いはしたくないと僕は言う」と歌い、時には情感を込めて低く「一生あなたに一途でいたい」と言う時、惑わされ、無防備になった。
いつも思うのは、彼は私の初恋の人だということ。「柔情蜜意」を聞いて熱い恋の思いを感じ、「分手」を聞いて失恋の心情を知り、「愛慕」を聞いて愛が激情になることが分かった。女子校で育った女の子だれもが、彼の歌によって初めて恋愛の気持を味わった。
二段ベッドで寝ていたあの日、彼のポスターは上段ベッドの底にいつも貼ってあった。毎日眠る前、下段のベッドの私は微笑んでいる彼を見、おやすみを言った。笑わないで欲しい、あの頃、本当に彼との年齢差を心に気にかけていて、はばかることなく彼に無礼をする人があれば、私は必ず進み出てこの人ととことん争った。大人になった今よく分かるのは、このような純真な感情こそ貴いものだということ。
第一次
成長の中での初めては、どれも彼と別には考えられない。初めて買ったカセットテープ、初めて見たコンサート、初めて買った写真集、初めて歩いた信和センター、自分を知らない人に書いた初めてのラブレター、初めての切りぬき、夜遅くの帰宅、甲高い呼び声、流した涙。思い起こし、更に彼に感謝すべきことは、我が家の4つの近代化を推し進めたこと---初めてのダブルデッキステレオ、初めてのビデオ、初めてのウォークマン、初めてのディスクマン、全て彼に添えられるもの。彼の言葉は正しい、物は消えて行くが、起こった事は永遠に残る。時代遅れの音響機器、経典を記したレスリー、忘れ難い場面を作り上げた。
不羈的風
私が認識する世界では、「不羈」この名詞はレスリーが発明したものだ。
自分の力量を使わない人は流されるが、彼は拒絶再玩の中で「誤解しないで狂ってるわけじゃない、意味も無く赤い唇が漆黒の中迫ってくる」「今夜退屈だと僕に言うべきじゃない、そんなに小さくならないで、今夜は野花のように」。教えて欲しい、他に誰がこの歌詞を引き受ける度量があるだろう?
一時期、レスリーは反逆「不良」たちの象徴であった。「暴風一族」はバイク族のテーマソング、「無心睡眠」「側面」といえばビーチやバーベキュー場で「燃焼」するグループに非常に好まれた。周囲と戦いリーダーとなる為に、レスリーのアップテンポ曲は向うところ敵無しなのだ。相手の音量は次第に小さくなり、私は家の隅でこっそり笑い「私たち繋がってる?」と思った。
Hot Summer
まだ育ち盛りだったあの夏、レスリーにのことで心は満ち溢れていた。80年代のホット・サマー、メールボックスを開け、感情の無い眠り、ペプシを飲み、ストーリーズを覚えた。夏休み毎、
レスリーのファンは特別に忙しいかった。23日間のペプシコンサートのあの年、忙しさは頂点を極め、「殺之戀」を見て、コンサート、写真集、忙しくも楽しかった。この種の忙しさを享受できること、羨望の至福というものだ。
當年情
妹も志を同じくする人間(レスリーファン)で、小さい頃から私と毎朝彼を見つめる日を過ごした。毎日彼の情報を探し、半日を楽しく過ごす。TVB開局周年、ミスコン活動、そして<白金巨星耀保良><星光燿燿競争輝>等の番組では、いつも彼の姿を見ることができた。私達二人は必ずテレビのそばで、明日テストがあろうと、彼の番組を録画していた。この時代、いまいましいパパラッチなどおらず、<玉郎電視><100分><新時代>等のアイドル雑誌があった。毎週日曜日、レストランで飲茶をする時には、発売されたばかりの<玉郎電視>を持ち、その中の<張國榮ポストボックス>を読む、それが週一度の最も重要な精神の糧だった。
有誰共鳴
ずっと感じていたのは、彼を愛することはまるで呼吸をするような自然な事、耳の悪い人、見ることの出来ない人を除いて。レスリーとアランの争いの時期には、学校にも感覚器官を失調してる生徒が少なからずいたかもしれない。「あなたが10年後まだレスリーファンかどうか見てるわね、もしそうならすごいわ」「とにかく私はレスリーが好きじゃない、
でも憎いわけではないのよ。ふん!アラン・タムの事でさわぐ必要は無いわ、彼もそんなに好きじゃないから!」幸いなことに、時には努力の結果こんな回答が返ってくる:「前はとってもレスリーが嫌いだった、特にモニカの頃は、キザで不真面目だと思ってて、どちらかというとアランの方が好きだった。でもずっとあなたと一緒にいて、朱も交われば赤くなるっていうか、まだ半分は好きじゃないけど。でも事実は事実、アルバム、ホットサマーは悪くないわ、ほとんどどの曲も良いって、貴重よ。」
Final Encounter
永遠に忘れられないのが、新聞でレスリーの引退報道を見た時、あの瞬間の心情だ。いつもなら新聞を読み終わって晩御飯を食べるが、あの夜は、一口も咽喉を通らなかった。同級生は、「アイドル、レスリーの為ならば、あなたはこんなことが出来るのね、ご飯も食べないで(コンサート最終日のチケットを買いに行く)、本当にまるで子供みたいだわ。」でも私だけが知っている、これを青春に悔い無し、ということを。
引退コンサートの最後の夜、寒さも忘れ、時間も忘れ、100人以上のファン達と一緒に会場の外で、一途に彼を待っていた、深夜一時まで。風は清く、静かな夜、私は空の星を眺め、目を閉じて、小さな声で言った「この1分、この一瞬の感覚を百年先も覚えていたい。」今までのところ、言ったことは実行できている。
彼が引退してまもなく、同級生はそれぞれの前途を目指して行った。1年が過ぎ、初めて家族と永遠の別れをした。今考えると、彼は、生との別れを早く慣れさせ、また、一緒にいたその一分一秒を忘れないように、と考えさせようとしていたのかもしれないと思う。
覇王別姫
別れの涙を流した後、それでも日は過ぎ、レスリーが本当にいなくなったと考えないようにしていた。たまに彼は公衆の面前に戻ってきて、「赤裸的秘密」の劇場版、「豪門夜宴」、「許冠傑光栄引退」プログラムでゲスト出演し、そしていつものように風に向かうのだ、哀れな私達はただ、これらの作品の中にひとときの満足を得ていた。
日々の記録の中にもたまに彼の名前を見ることができ、大学に入った後、まるでひたいに“私はレスリー・ファン”とでも彫り込んであるように、知り合った新しい同級生は皆、私のアイドルが誰かを知っていた。異性との約束は、これもまた「覇王別姫」で始まり、人生の新しい1ページを開いた。
その時も私の生活はレスリーで一杯だった。
寵愛
彼がとうとう戻ってきて、私は忙しい生活を始めた。皆でカラオケに行っても、同僚が彼の名曲を歌おうとすると、いつも私の厳重警告に遭う:「心をこめて歌ってね、下手に歌って私のアイドルの歌をひどくしないように。」言っている時の目は鋭く、この習慣は以前と同じだ。「怪イ尓過イ分美麗」のビデオを見た時は、満面に陶酔の表情を浮かべていた。
「レスリーのスーツ姿のかっこいいこと、ちょっと見てみて?あなた達も見習って。」財布をすられて、警察署で遺失届を出す時泣きべそ顔だった原因は:「おまわりさん、財布にはレスリー・チャンの大晦日コンサートのチケットが4枚入ってて、もうお金を出しても買えないんです。」幸いにも、結果的には彼と一緒にカウントダウンすることができた。レスリーへの依然とした寵愛と、そしてこの頃私は他の人への寵愛と、同時に自分への寵愛が始まっていた。
這些年來
バレンタイン・デーにアルバム「這些年來」をプレゼントとして受け取った。その驚きと喜びは忘れられないもので、待ちかねていたビデオクリップのVCDが初めてついていて、彼の素敵な顔がディスプレーに写った時、私は思わず取り乱し叫んだ:「あぁ、助けて!凄くかっこいい!くらくらする!」。プレゼントの送り主はそばで冷遇されていた。
私のような人間がどれくらいいるかわからないが、何年も経ってからこのアルバムのジャケットを取り出し改めて眺めると、初めてこのMVに出会った時の驚きと艶やかさをはっきりと思い出す。
大熱
また数年が過ぎ、ある人生の挫折を経験し、増えたプレッシャー、減った天真爛漫さ、生活に対して無感動になり、レスリーへの情熱もまた冷めてきたように感じた。仕事ばかりの日々の中、私は最後の何作かの映画とアルバムを、<<ライブ>>と<<パッションコンサート>>を失してしまった。この数年間の歴史を消し去りたいと心から願う。、どうすれば後悔の無い人生になるだろうか?私は失ったものもあるが、得たものの方がもっと多いかもしれない。彼とは次第に遠く離れてきていて、ずっと心の中にいるとは思ってもいなかったのだ。会社のコンピュータが壊れ、コンピュータ部門の同僚に修理を頼んだ。
「ログインのパスワードは?」……小さな声で言った:「L E S L I E」と、クールな同僚は驚いたような目で私を見つめた。あの時、私は全く離れてなどいなかったことに気づいた。
彼が去ってから、自分が社会に出て仕事を始め、ずっとこのパスワードを使って、毎日このようにキーボードを使って彼の名前を呼んでいたことにやっと気がついた。私の生活の中で、彼はずっと熱いままで、ただ自分が気づくのが遅かっただけだった。
共同渡過
ある文章に:ローマンは皆のもの、レスリーは私達のもの、と書かれていた。もろ手を上げて同意する、80年代に成長したジェネレーションとしては、私達の昨日は、全てレスリーがいるのだ。
時は過ぎ去り、物はうつろうが、私達が共に過ごした毎一分は永遠に忘れない。もし彼に聞こえるならば、私は言いたい:レスリー、あなたがいるだけで、私は昨日を語れるの。
訳 by Naomi |
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