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2004.3.18 @明報 @sina.com 哥哥の和尚ルックふたたび4月1日は張國榮の一周忌であり、榮迷たちは一連の追悼活動の準備を行っている。マンダリンホテルにおいての追悼会以外に、榮迷はやはり哥哥のスターとしての風采をもういちど見ることを選んだ。日本のファンのリクエストにより、哥哥が20数年前に香港電台電視部で撮影したテレビドラマ『沙之城』(’81年)と『女人33』(’83年)をふたたび見ることができる。 哥哥の日本人ファンたちは、4月1日の追悼会以外に、追悼活動に参加するためわざわざ香港にやってくる。400名の日本人ファンは香港観光協会を通じて手配を行い、港台に対し哥哥の出演した港台のドラマを借り、4月2日に香港電影資料館において、午前11時から午後11時まで4作品を3回上映する。作品は『沙之城』『女人33』『我家的女人』『煙飛煙滅』。榮迷の別のグループもまた港台に『我家的女人』と『煙飛煙滅』を借り、4月2日に九龍湾にて上映する。 『沙之城』では、張國榮は小沙彌の役で、ストーリーは、学生たちと大嶼山の寺に宿を借り和尚と語り合ったり、“禅”の感じを帯びた物語である。『女人33』は張國榮と塾の講師・鄭佩佩との年の差恋愛のストーリーで、このテーマは当時かなりの物議をかもした。 |
| ピークのマダム・タッソー人形館 3月31日だけファンのために時間を変えて見れるようにするそうです。時間帯は、15:00〜24:00と夜中までファンにサービスされるとのこと。(香港観光協会情報) |
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| 2004.3.13 @明報 @太陽報 阿梅張國榮獲頒演藝光輝永恆大獎 4月4日に行われる「香 港 電 影 金 像 獎 頒 獎 禮」にて、レスリーとムイ姐に『演藝光輝永恆大奨』を特別授与することが決まったそうです。 また、今月末、香港で洲立影視というところが『一格光影,幾許深情 -- 鍾情張國榮電影DVD套裝』という映画作品のDVDセットを売り出すそうです。 |
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2004.3.6 @東方日報 @明報陳淑芬、レスリーを悼み 涙しながら作詞する(東方より) 4月1日は張國榮(哥哥)の一周忌である。哥哥がなくなってはや一年、しかし時が彼に対するファンや友人たち、とりわけ哥哥の生前のマネージャー陳淑芬(陳太)の思いを薄めることはない。 陳太は哥哥を追悼するために、自ら 陳太と哥哥の関係は密接で、加えて陳太は哥哥の事故状況を目の当たりにしていた。だから彼女には哥哥との別れに関して特別な思いがある。以前陳太は縁あって、大陸の名プロデューサーが持ってきた音楽を聴いた。彼女はその歌の旋律に優美さを感じ、歌詞をつけたいという衝動に強くかられた。結果、陳太は書いては泣き、泣いては書きを繰り返しながら ![]() そのほか、陳太は哥哥の遺灰はすでに秘密の場所に安置されていると明らかにした。しかし、唐唐の自宅ではない。「かつてある記者が唐唐の家に侵入してきたことがあったから、彼はそこに哥哥の遺灰を安置しておくことはとてもできなかった。また沢山の線香のある場所に安置することもしたくなかった。だから、廟宇や道観も考慮になかった。ただ、どこに安置したか、これだけは言えません!」と語った。 ピンイン歌詞はこちら
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| 2004.3.6 @星島 サンディ・ラム レスリーをなつかしく思い涙をこらえて歌をささげる ![]() サンディ・ラム アンソニー・ロンおよび香港管弦楽団合作のコンサートがおとといの夜、香港コロシアムにてはじまった。ふたりは、このコンサートを通じて、それぞれ亡きレスリーとアニタに敬意を表した。 サンディは音楽界に入って長く、このコンサート上で次のように語った。長年、とても沢山の人たちと合作を行ってきて、毎回彼女に刺激を与えてくれていた。何人かの友達はもういないけれども、刺激は彼女の中に永遠に留まることだろうと。その後、『赤裸的感覚』のセリフを歌い出した。この歌はもうワンパターンあり、それはレスリーがサンディに対してセリフを語っているものだ。サンディはコンサート後インタビューで、この歌を歌ったときレスリーのことを思い起こしたほかに、林振強のことも思い起こした。だから期せずして目がうるんだ。でも泣いてしまったら歌えなくなってしまうから、泣き出すことはなかったと語った。 またアンソニーはこの夜ソロで、彼がかつてアニタとデュエットした『心仍是冷』を歌うとき、白いバラを1輪手にしていた。この花にキスをし、彼はこの花はアニタに捧げると語った。(以下省略) |
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2004.3.5Free access Asia(フリー・アクセス・アジア) 第2号発売! (表紙は・・・ペ・ヨンジュン^-^;) この関西発!のアジア系情報誌に『レスリーに逢いたくて Meet☆LESLIE Osaka』のレポートが掲載されています。 購入はお近くのアジア系輸入CDを取り扱っているショップの雑誌コーナーにて。(ヴァージンメガストアにはありません) 定価\600 フルカラーっ!!で編集スタッフさん達は大変ながらも楽しくがんばっておられます!是非応援してあげてくださいネ。 レスリーの記事は次号でも掲載予定だそうです。 お問い合わせ先:Free access Asia編集部 faasia@co2.jp 〒540-0004 大阪市中央区玉造1-4-14 |
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| 2004.2.23 @東方日報 張國榮との忘れ得ぬコラボレーション ![]() 監督、プロデューサーであり作家でもある陳嘉上(ゴードン・チャン)は、上質な映画づくりでよく知られて いる。技術的に優れており、なおかつ独創的でもあるような映画を撮りたいという彼の制作欲に従うなら、それは一年にいい映画を一本つくるということだ。彼の大ヒット作には「ビースト・コップス 野獣刑警」や「ファースト・オプション 飛虎」「メダリオン」などがある。 20年以上に渡って多数の映画をつくってきた陳嘉上監督には、とりわけ思い出深い作品がある。それは「ビースト・コップス 野獣刑警」や「ファースト・オプション 飛虎」などの、高い評価を得た作品のことかと思う人もいるかもしれない。しかし、陳嘉上が挙げたのは「恋戦沖縄」であった。 「もっとも印象的で忘れられない映画は『恋戦沖縄』を置いて他にない。実際は、この映画はかなりの非難や批判を浴びたうえ、観客動員数も期待していたようなものとは程遠かった。でも、この映画を撮ったことを後悔したことなんて一度もないよ。なぜなら、自分自身の創作欲のままに映画を生み出す機会を得ることができたんだからね。それは、恋に落ちるということに対する自分の考え、そして、うまくいかない恋愛模様を描きだすことのできる機会だったんだ。最も大切で、そして最も思い出深い経験といえば、張國榮、梁家輝との仕事だね。映画のセットで、私はとても幸福な時間を彼らと共に過ごすことができたんだから。 この映画に対する世間の反応は、期待していたほどよくなかったけれども、二人とも不満など口にしなかった。それどころか、張國榮も梁家輝も次はどんなラブストーリーを紡ぎだそうかとたずねてくれたんだよ。彼らの温かい応援に対して、一言で私の思いを表すことなど、とてもできない。二人の変わらぬサポートには本当に感激しているよ。」 張國榮について、陳嘉上は次のように話している。 「レスリーは、私が映画界に入ったときの、最初の仲間のうちの一人なんだ。もしも病気という事情がなかったならば、このような形で我々のもとから去ってしまうなんて絶対に彼は選択しなかっただろう。あの日、あの知らせを聞いたとき、私は香港金像奨(HKFAA)の仕事で忙しくしていたが、あまりにも受け入れ難い出来事で、とても悲しく、ひどく落ち込んだ。私は、レスリーと過ごしたあの時を決して忘れない。」 |
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4月に本が2冊でます「レスリーの時間」 志摩千歳/著 *お近くの書店でご予約ください 「夢想之欠片 ユメノカケラ」 森珪/著 *先行予約受付中 |
| 2004.2.18 @太陽報 @明報 張國榮の風采は香港マダムタッソーにおいて永遠に 公式サイト ![]() 製作期間5ヶ月・製作費用70万香港ドルを費やした張國榮の蝋像が3月31日午後(注)、マダムタッソーの『偉人殿堂』に展示されることとなり、その時スクリーンには唐唐が選び出した哥哥の生前の写真映像が映し出される。 哥哥張國榮が去年亡くなってから、哥哥の姿をもう一度と望むファンは少なくない。香港のマダムタッソーはこの状況を見、哥哥のために蝋像を作ることを早くに決めていた。この蝋像には特別な意義があるので、哥哥の親族や唐唐は皆全力で協力した。哥哥の蝋像はイギリスにおいて、ロンドンマダムタッソーのトップ彫刻師Stephen Mansfield氏によって製作されている。 蝋像のデザインに関して、唐鶴徳(唐唐)が哥哥の生前の写真から選び出し、哥哥の姪・麥嘉軒と麥嘉殷も映像や写真、身体の各サイズなどの資料を提供し、最も真に迫った「張國榮」を造ってくれるよう求めた。さらに麥嘉殷は自らイギリスへ赴き、製作過程の視察や、髪型・目の色などの意見を述べた。唐唐はさらに「各国ファンが張國榮に想いを伝えられる祈念意義のある場所の一つにしてもらいたいので、一周忌である4月1日に出展してほしい」と、マダムタッソー側へ提案した。 (注)明報では、3月31日午後に展示されるとありますが太陽報では、3月31日は「偉人殿堂」展覧室にて哥哥の写真展示・4月1日に除幕式とあります。 |
| 2004.2.2 @太陽報 @HK Yahoo! 第23回香港電影金像奨は4/4に開催される。 「金像奨」主席の文雋は次のように述べた。大会側は大陸の姜文・劉暁慶・著名監督の馮小剛・徐静蕾らにゲストとして出席の要請をしていて、彼と姜文・馮小剛・徐静蕾はお互いによく知っている間柄なので、出席してもらえるチャンスはとても高いと信じている。 これ以外に、去年はSARSの影響で来港できなかったハリウッドの鬼才監督タランティーノにも、今年再度出席の要請をしている。大会側ではまた去年亡くなった張國榮・梅艶芳・柯受良・林振強への追悼儀式を授賞式上で行いたいと考えている。去年の「金像奨」の授賞式で張國榮に対して追悼を行っているが、各国の張國榮ファンは、今だ尚絶え間なく大会へFAXで張國榮に「終身成就奨」を贈るように要望している。しかし「終身成就奨」は、この世にいる演芸人の成果を表彰するもののため、追頒奨項の分野は、張國榮やムイ姐やブラッキーなど人に関係なく、「終身成就奨と同等のもの」でなければならない。 |
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2004.2.1 ![]() シルビア・チャン(張艾嘉)新作『20・30・40』がベルリン映画祭コンペティション部門にノミネート シルビア・チャンが監督した映画『20・30・40』は今回中国語映画で唯一、ベルリン映画祭コンペ部門にノミネートされました。ノミネートに関してインタビューを受けたシルビアは「中国人映画はカンフーがメインだけど、今回それを変えることができ、国際映画祭に参加することができてとても嬉しいです。受賞するかどうかは重要じゃない、最も大切なのは楽しむことね」とコメントしました。 かつてはレスリーに監督を依頼 『20・30・40』は20歳の李心潔・30歳の劉若英(レネ・リウ)・40歳のシルビアという3人の女性に起こる出来事を中心に描かれています。シルビアは「当初、レスリーに40歳のパートを撮ってもらいたいと考えていた。レスリーの出来事は思いもかけないことだった。最終的にこのパートは私自身が監督したわ」と話しました。 シルビアはこのストーリーが完成した後、台本をレスリーに贈ろうと考えていました。しかし結局彼がこの映画を撮影することはありませんでした。シルビアは「もともと楽しいストーリーを書いていて、ハッピーな映画にしたいと思っていた。ただ、残念なのはストーリーを書き終えたときにはもう レスリーに送ることもできなかった。」と話した。 |
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2004.1.29 @明報フローレンスの話によるとお墓はまだきまってないみたいです。遺骨・遺灰を埋葬できて、なおかつ墓碑が建てられるところを探してるけど、香港では通常火葬をしたあとの遺骨は土葬できないとのこと。誰かか祠廟(お寺)に祭ればいいって提案したけれど、レスリーの生前の願望をよく知る人は、レスリーは祠廟で煙に燻されるのがキライなのを知っていたので、この提案は起用しなかったそうです。 フローレンスも毎日レスリーの写真に話しかけてるのだそうです。 全記事はFrannyさんのところにも有ります |
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2004.1.12 @明報 @Yahoo!香港 唐鶴コ代張國榮祭阿梅 唐さんがレスリーの代わりにアニタに最後のお別れに。。。アニタとレスリーは知り合った頃からずっと親友でした。ステージ上では二人は最高のパートナーでしたが、悲しいことにこの9ヶ月の間に二人とももう会えない遠い所へ行ってしまいました。私たちはレスリーを失った苦しみを乗り越えていません。しかし、今、アニタ・ムイの死去の悲しみに耐えなければならないのです。 レスリーファンにとっては、レスリーを愛することはすなわちアニタを愛することでもありました。昨日(11日)世界中のレスリーファン達が彼女に敬意を表して花輪を送りました。彼らは、レスリーとアニタが再び「縁イ分」を一緒に歌うことを願いました。 哥哥の親友である唐氏もこの日花輪を送り、その後8時25分、エリザ・チャンと一緒にアニタに敬意を払うために葬式場に現れました。 レスリーとアニタは、共に有名になり、また非常に心の通った友情でつながっていました。レスリーはアニタを実の妹のようにかわいがっていました。ツアーの時も、アニタが暗闇を怖がることを知っていたのでホテルではいつも隣の部屋に泊まっていました。 しかし二人とも歌手として有名になってしまってからは、お互いが一緒に何かをする機会がほとんどなくなってしまいました。それにもかかわらず、アニタの2002年の”ファンタジー・ギグ”の舞台で「縁イ分」を一緒に歌ったとき二人は暗黙の内に息がぴったり合った素晴らしいパフォーマンスを見せてくれたのでした。 ダニー・チャンのファン達も彼の名の元、花輪を送りました。ダニー・チャンは10年前に亡くなった歌手で彼もまたアニタの親友でした。しかしながら、驚いたことに、アニタ・ムイは長年密かにアンディを崇拝していましたが、アンディ・ラウのファンはリースを送らなかったそうです。 |
| 2003.12.30 関連記事はこちら 2003年12月30日早朝、衝撃的なニュースが飛び込んできた。。。 梅艶芳(アニタ・ムイ)が、子宮頚がん悪化による肺機能低下で死亡。 「死」 だなんて・・・・ムイ姐が。2年前から症状はあったらしいけど、詳細な話を耳にする度にまた胸が締め付けられる想いです。こんなことってあるのだろうか。とても寂しい2003年の幕が閉じました。 |
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