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Florence Chan's interview
(内容から、2003年9月頃のインタビューと思われる)


フローレンス・チャン インタビュー

 2003年4月1日18時41分、失意の張國榮は中環のマンダリンオリエンタルホテル16階の窓から(訳注:間違い)身を躍らせその46年の命に終止符を打った。当日の状況について、さまざまなメディアのそれぞれの伝え方は違っていた。あの日、レスリーは唐鶴徳さんがハンサムな青年と共にいるところを見たのだろうか?レスリーが最後に見せたいつもとは違う兆候とはなんだったのか?レスリーはその最期に際してどのような遺書を書いていたのだろうか?これら全てはただ、生前のマネージャーであり親友であるフローレンス・チャン女史が知っている。フローレンスの友人として、記者の私は、レスリーが亡くなってから長い間レスリーに関するいかなる話題も彼女に対しては敢えて話すことができないでいた。なぜなら、レスリーはフローレンスにとってぬぐっても消えることのない痛みだからだ。どんな小さな話題でも彼女を悲しませてしまう。
 レスリーが我々の元を去ってから5ヶ月が経って、私はやっとフローレンスと正式に話をした。話はしだいにレスリーがこの世を去ったあの日の悲しみに戻っていく。




:きっとあなたをとても悲しませる質問ですが聞かせてください。レスリーが亡くなった日の状況に関して、それぞれの新聞が独自の見解を書いていて同じではありません。4月1日に本当のところ何が起こったのですか?

:その日、レスリーは友達をランチに誘っていました。私は彼に電話をしたのですが、電話に出たのは唐さん(唐鶴徳さん)でした。「レスリーはどこにいるの?」と聞いたら「出かけたいと言っていた。午後7時から一緒にバトミントンをする約束なんだ。」と答えました。レスリーがどこにいるのか聞いたら、友人たちとセントラル(中環)でお茶していると教えてくれたので、「わかったわ。彼に電話してみる。後でまたかけるわね。」と話したのです。

:彼に電話できたのですか?

:私のオフィスはワンチャイ(湾仔)にあって、セントラルの近くです。すぐ彼に電話をしましたが、出ませんでした。留守番電話に繋がったので、暇になったら連絡をくれるようメッセージを残しました。彼は友達とおしゃべりしていて、ちょっと時間がかかると思っていたので、彼からすぐに電話がかかってくるとは思ってもみませんでした。

:彼は何と言っていましたか?

:電話が繋がった時、どこにいるのか聞きました。彼はまだセントラルにいると答え、何をしているのか聞いたら、お茶を飲んでいると言いました。誰と一緒なのか聞いたら、一人だと答えました。私は、一人でお茶するのなら私を誘ってくれればいいのにと文句を言い、出かけて行って彼を見つけようと提案したのですが、彼はちょうど出るところだと言いました。どこへ行くつもりなのか尋ねたら、ショッピングに行きたいと言っていました。そこで、私も一緒に行きたいと言ったら同意してくれました。7時から唐さんとバトミントンをすることを知っていたので、時計を見て時間がそんなにないことを知り、すぐに電話を置いて彼を探しに行きました。

:その時、彼になにか変わったところは見受けられなかったのですか?

:電話を切ろうとした時、彼が、この機会に香港をしっかり見ておきたいと言ったのです。私は香港を眺めてどうするのかと聞きました。この時に私は彼がいつもと違っているように感じました。その後私が、あなたが出かけようと出かけまいとあなたを探しに行くわよと言うと、わかった、おいで、と言ってくれました。私はタクシーに乗ってセントラルのマンダリンオリエンタルホテルに着きましたが、ロビーに彼の姿はありませんでした。そこで私はよくおしゃべりをしたカフェに行きました。入って行くと、何名様ですかと聞かれたので、レスリーを探していると答えました。ウェイターが彼はここには来ていないようだと言いました。私は、約束しているからここにいるはずだと言って、彼を探して歩き回りましたが見つけることはできませんでした。

:あの日、レスリーは唐さんが他の男性といるところを見てとても怒っていたという報道がありましたが、ここまでの話ではそのような出来事はなかったように思われますが。

:決してそのようなことはありません。それらのメディアは全くのでたらめを書いているだけであり、唐さんはその日全くレスリーに会っていません。レスリーがホテルで待っていたのは私です。彼を見つけられなかったので、もう一度電話をしたら、今度は出てくれました。私は着いたけれど、あなたはどこにいるのかと聞いたら、ちょうど出るところだと言い、そこで先にお茶して待っているように、急いで行くからと言いました。そこで私は30分くらい待っていたのですが、まだ彼はやって来ませんでした。彼の死後私は、彼はこの時一人でさまざまなことを考え、きっと激しく葛藤していたのだろうと思い返しています。

:どうしてあなたはその後正面玄関へ行き、あの痛ましい事件を目撃したのですか?

:40分待った後、彼からの電話がありました。「5分後に正面玄関で待っていて。そこに行くから。」と彼は言いました。時間を見るとすでに6時半近くで、その後彼は7時にバトミントンをしに行くので、あまり時間がありませんでした。私はレスリーが車で出ることを知っていたので、急いで会計を済ませて出て行きました。正面玄関は駐車禁止であることを知っていたからです。私はとても急いで外に出て、正面玄関で待っていましたが、彼は現れませんでした。

:あの事件が起こったのはその時ですか?

:5分くらい待った後、突然とても大きな音が聞こえてきました。何かが落ちてきたような、とても大きな音でした。その方向を見ると、道路に何かが落ちているのが見えました。その時私には人の姿が見え、その傍にバスが止まっていたので、交通事故だと思いました。私はすぐにホテルの従業員に出てきてくれるよう叫び、怪我人がいるので急いで救急車を呼ぶよう頼みました。

:その時にはまだ、その人がレスリーだとは知らなかったのですね?

:はい。私はその時レスリーがうつ病であることを考え、このような光景を見て悪影響を受けるのではないかと危惧しました。そこで、彼の車を止めてこの場の光景を見せないようにしようと走って行きました。しかしちょっと行った後、もしまだ彼が来る途中であったなら、もし交通渋滞に巻き込まれているなら、もし到着しないのならそれがいいと思い、そうする必要はないと考えました。その後私は彼の車がこの場を通らないように止められないかと、道路に出て行きました。

:何かがおかしいと思われたのはどうしてですか?
:彼に電話したのですが、応答メッセージが返ってきました。それでなにかおかしいと感じ始めたのです。彼はついさっきまで携帯電話を使っていたのにどうして今は繋がらないのだろう。その上彼は今運転中のはずでもあるのに、と。彼が携帯に出ないので、私は少し不思議に思い、もう一度現場を見るために引き返しました。私には近くまで行って見る勇気がなく、その場に行ってホテルの従業員にまた救急車を呼ぶよう伝えました。

:メディアによってなされた報道は全て間違っていたわけですね?

:はいそうです。レスリーがその時唐さんに会っていて、その上そこには他の若い男性がいたという話は全くのでたらめです。レスリーは私と会う約束をしていて、他の誰も誘っていません。唐さんはその場にはおらず、バトミントンをしていました。

:レスリーと唐さんの関係について話していただけますか?

:彼ら二人は20年以上に渡る友人であり、いつもとてもいい関係でした。嫉妬のようなものなど全くありません。ただ唐さんの助手のケネスをとても可哀想だと思うだけです。唐さんが忙しいのを手伝ってもらうために雇っただけなのに、その人は今では半ば公の人物のようにされており、多くの人が彼をレスリーの恋敵だと言っています。とてもおかしなことだと思いませんか?もしあなた方が彼をくびにしたら、彼にとって他の場所で仕事を見つけることはとても難しいことだと思います。始めはただの付き人であったのに、恋人となっています。このような話は本当に滑稽だと思います。その上多くの人々(記者たち)はこのようなことなどなかったと知っているのに、売り上げを伸ばすためにあのように報道するのです。

:病院に着いた後で、その怪我人がレスリーだとはっきり判ったのですか?

:はい病院に着いてすぐに知りました。私はずっと信じられず、また信じたくありませんでしたが、悪い予感がしてとても不安だったので病院まで救急車に付いて行きました。病院に着いて、私はそこにいた警官に、さっき着いた人は今どこにいるのか、彼の名前はなにかを尋ねました。彼の名前は知らないけれど、私の友人かもしれない、と言いました。その警官は私を見て「彼はレスリー・チャンではないか?」と聞きました。その警官は私のことを知っていたのでこのように言ったのです。私はその時・・・(涙で声にならず)

:彼がレスリーであるとわかって、あなたは何をしましたか?

:私が第一にしたことはまず警備に連絡することでした。メディアに写真を撮らせないようにレスリーを守ってもらうためです。そのようなことになればレスリーがとても怒るでしょうから。多くの人が私に連絡を取ったり、本を書くように言ったり、インタビューを申し込んで来たりしましたが、断りました。私には何も書くことがないからです。ただ、話をでっちあげないよう願うだけです(涙)。

:多くのメディアがレスリーの遺書について違ったものを伝えましたが、明らかにできますか?

:彼は飛び降りる前に遺書は書いていません。彼の遺書は随分前にすでに書かれたもので、弁護士に預けていました。

:どうして彼はあらかじめ遺書を書いていたのでしょうか?

:彼はこの1年、病気に悩まされひどく苦しんでいたので遺書を書いたのです。

:あの時期の彼の病状はどんな具合でしたか?

:彼はうつ病を患っていました。この病気にかかった彼にはとても多くのことが起こり、自分の感情を抑えることができませんでした。手や時には足をも自由にすることができないようで、とても辛い思いをしていました。彼は医者に行こうとしませんでした。薬を処方してもらっただけで、記者たちはLeslie Cheungが精神科医に通っていると報道するのです。彼が高い自尊心を持っていることはご存知でしょう。彼はそのように報道されることを許せなかったのです。その上メディアは間違ったことを書くだけで、はっきりしたことは書けないのです。あの時期、彼にとってはどんなことも精神的打撃であったはずです。

:彼は遺書でどのようなことを書いていましたか?

:遺書では、自分に何かが起こった際のことについて書いていたのだと思います。今日では遺書を書くことは珍しいことではありません。彼は主に後の取り決めを書き、何人かへ感謝を表していました。

:彼があの場所では何も書かなかったことは確かですか?

:彼はあの場で、何人かへの感謝と病気であることを伝えるメモを書いています。しかし、それは決して遺書ではありません。

:それ以来あなたはメディアからの取材に応じていませんね?

:はい。ただ「明報周刊」にだけ一度話しました。なぜ話をしたのか。実は話が来た数日、私には多くのしなければならないことがありました。多くのことを処理するためにご家族を助け、唐さんに何が起こるのか分からなかったため彼を慰めなければなりませんでした。そのため私はずっと新聞や雑誌を読んでいませんでしたし、全くそのような気分ではありませんでした。数日後のある日唐さんがこう言いました。ある晩彼は睡眠薬を飲んでいたため朦朧としていて、(門前にいた)記者全員が帰ったと思いドアを開けたところ、記者たちはまだ外にいました。彼らは唐さんにいくつかの質問をしました。彼はその晩睡眠薬を飲んでいたため、自分がどう言ったのか忘れていました。記者が、今でもレスリーを愛しているかと尋ねた際、今でも愛しているのではなく、いつでもとても愛していると答えたようです。しかしその後数日間、報道の多くは唐さんには新しい恋人がいるといったようなことを伝えていました。唐さんは私に真実を明らかにし、メディアに話を作り上げないよう再び頼むよう言いました。

:レスリーと唐さんは過去にこのような中傷にどのように対処してきたのですか?

:以前このような中傷や話が出た際は、彼ら二人は弁明することも話すこともしませんでした。ただ彼らは彼らの行動で真実を示してきたのです。しかし今ではもうそのような機会はありません。もし唐さんが真実を語らなかったら、それは彼にとってとても不当な扱いであり、私たちの元を去ってしまったレスリーに対してもまた大変不当な扱いといえます。唐さんは私に真実を語るよう望んだため、一本のインタビューを受けました。私は「明報周刊」の記者にのみ事実を話しました。彼らが事実を報道してくれると信じているからです。

:あなたの見解では、レスリーはどうして止められなかったのでしょうか?彼は疲れ切っていたのでしょうか?

:彼は自尊心の強い人間です。この一年の彼の病状を知らない人々には、彼がどれ程苦しんでいたか分からないでしょう。もし、うつ病を患っている人を知っているなら、理解できるでしょう。しかし、以前私はそのような病気の人に接したことはありませんでした。レスリーがうつ病に倒れてから、私は彼と一緒に医者に行くようになりました。医者はうつ病患者にどのようなことが起きるのかを示す多くの情報を教えてくれました。それで私はやっとその病気についてどんどん深く理解していったのです。レスリーがどれ程回復を願っていたか、想像もできないでしょう。彼は医者に通っていましたがうつ病である現実を受け入れられませんでした。なぜなら彼には全てがあったから。今では自分の好きな仕事を選んでいます。どうしてこのような人間がうつ病になるのでしょう?想像すらつきません。誰も信じないでしょう。どうしてそうなるのか?

:レスリーがうつ病になった具体的な原因について話していただけますか?

:当然のことながらこれにはたくさんの理由があります。多くのことが蓄積していったのです。最大の理由は彼を傷つけたコンサート(訳注:パッションコンサート)です。彼のコンサートはあのような完璧なものにするために心血を注いだものでした。にもかかわらず、あんな大きな打撃を受けたのです。最終公演を香港に帰って行ったのは、以前にはコンサートの見方を分かっていない人々がいたために、私がレスリーを応援したかったからなのです。海外のメディアは高い水準を持っていました。彼らはコンサート全体の演出を伝えることに力を注いでくれました。香港のメディアにはできないことです。香港のメディアの報道は、その晩どの歌をどのように歌ったのか、照明や音響がどうであったのかには一言も触れず、長髪や一瞬の写真にのみ焦点をあててコンサート全体を台無しにしたのです(涙)。

:レスリーには全てのものがそろっていました。どうしてうつ病になったのでしょう?

:コンサートに関する報道です。たくさんのこと全てを彼は気にかけていましたが、心の内で悩むことしかできず、口にすることはできませんでした(涙)。仕事のない時でも考えていたのでしょう。たぶんうつ病に導くような辛い思いをさせる物事も多く思い起こしていたのでしょう。うつ病にかかり始めた頃、手の震えや不眠、冷や汗といったいくつかの症状が現れ始めるまで、彼は自分がうつ病であることに気づいていませんでした。それらの症状が出た時、彼はすぐに医者に行きましたが、全員が健康状態にも肝臓にも心臓にも悪いところはなく、全て良好だと答えました。彼は理解に苦しんだのです。病気でないなら、どうして汗をかいたり夜眠れなかったり、このような症状に襲われるのだろうか?レスリーはずっと健康管理に大変気を配っていて、喫煙もあまりせず、飲みすぎることもなく、夜遊びもしません。こんなにも健康な人間がどんな病気にかかるというのでしょうか?どうして異常があると示すこんなにたくさんの症状が急に現れたのでしょうか?私たちにもどうしても分かりませんでした。全ての検査で、医者はみな、専門家でさえ、彼には問題はないと言ったのです。

:病状が一番悪いときにはどのような状態でしたか?

:レスリー自身はこれまで精神科医にかかることを考えてもいませんでした。彼が一番悪い病状だった時は本当に、私たちみなも大いに傷つきました。発作が起こると、全ての筋肉が、肉体が引き裂かれるかのような強烈な痛みに襲われました。彼は違った段階でそれぞれの症状に襲われ、死を願う程にひどく苦しんでいました。その上、彼にはするべき仕事がたくさんありました。彼は仕事を受けることができなくなっていました。仕事を心からしたかったのですが、引き受けることができませんでした。なぜなら、一旦引き受けてしまって、もし病気が起こりその仕事を完成させられなかったらどうしたらいいでしょう?彼が亡くなるまでの一年が辛く苦しいものであったことは誰にも分かりません。

:レスリーの1ファンとして、私はあなたが追悼活動を行ったり、追悼CDを制作したり、博物館を建てたりといったレスリーのためのなにかをしてくださることを望んでいます。それらは分不相応ではないと思います。どうして何もされないのですか?

:そんなに簡単ではないことがたくさんあるのです。レスリーにはたくさんの親族がいますが、そんなに親しくしていません。率直に言って、たくさんの兄弟姉妹とは疎遠で、普段は年にたった一度か二度集まるだけです。しかし、なんといっても彼には親族のみなさんがいるのです。もしそれらのことをするなら、唐さんが親族の代表としてできると思います。私は適任ではありません。私もとてもやりたいとは思いますが、もし私がやったら多くの誤解が生じるでしょう。私がレスリーを商品として利用していると考える人もいるかもしれません。私は人々からそのような誤解を受けたくありません。しかしあなたが言った事柄について、実は私も、唐さんと親族のみなさんがレスリーのためにやってくれることを望んでいます。レスリーのファンたちが訪れることができ、ばらばらの場所で追悼活動を行わなくていいような正式な場所ができればと願っています。しかしながら、あなた方には理解できないような多くの問題があるのです。唐さんはこの時期とても敏感になっています。実際彼にはやりたいことがたくさんあるのですが、今は適切な時期ではないと考えています。彼は人々の注目が自分に集まることを望んでいません。

:レスリーの遺灰は結局今どこにあるのですか?

:遺灰は今、とても静かな場所にあります。静かに安置するのにふさわしい場所を探す必要があります。レスリーは生前、宗教的な場所に安置されることを望んでいませんでした。宗教的でない場所を探すことがとても難しいことはご存知でしょう。香港ではほとんど全てが寺院ですが、レスリーがそれを望んでいないので本当に難しいことでした。その上香港には故人の埋葬に関する法律上の規定がいくつかあり、火葬してしまった後に土葬することはできないのです。ですから、その場所を見つけるための多くのことは満足のいくように運んだとは言えません。今でも唐さんはずっと探しています。私は彼の代理として多くを語りたくはありません。私はただ自分のことを話すことができるだけで、彼らの同意なしに代理として話をすることはできません。

:唐さんは最近どうされていますか?

:私たちは彼を運動やバトミントンや友人たちとの食事に誘ったりしています。ただ、もし記者たちがずっと後を付いていなければ一番いいと思います。ずっとこのようなら、彼は普通の人の生活を送れませんから。

:あなた方の後を追う記者がいるのですか?

:私に付いて来る記者もいます。彼らはただ「どんな気持ちですか?」といったくだらない質問を繰り返すだけです。

:今、どのようなお気持ちですか?

:本当に彼をとても恋しく思います(涙)。一人になるといつでも彼のことを考えてしまい、自分の感情を抑えきれなくなります・・・(涙)。

:あなたはそんなに悲しむことはありません。レスリーにとってこれはよくない結末ではないかもしれません。なぜなら彼は完璧な美を求めていたのですから。

:私は彼自身がこれを考えたのだと信じています。彼は変わっていきたくなかったのです・・・。彼にはいつ良くなるのかわかりませんでした。医者ですら答えは出せませんでした。彼はどんどん自分の感情を抑えることができなくなり、公の場でこのような症状が起こり、記者たちにその様子を書かれることを最も恐れていました。彼はそのようなことが自分の身に起こることを望まず、そのためにあの選択をしたのです・・・(涙)。私は彼がとても離れがたかったことを、不本意であったことを知っています。彼はただ早く回復したいと思っていました。医者は赤ワインを少量飲んでもいい、問題はないと言いましたが彼は飲みませんでした。彼はできるだけ早く回復したかったのです。彼はほんの些細な事柄にも神経を使っていました。早く良くなりたかったのです。でもただただ悪くなっていくようでした(涙)。


ソース:
<中文>
http://ent.sina.com.cn/2004-04-01/1130351150.html
<英訳>
http://xoomer.virgilio.it/nguidett/chan.htm


和訳:凛



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