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Jean Ko(柯志達の妹)からのメッセージ
(前出のインタビュー記事 編集者・柯志遠氏の妹)



哥哥、私があのKo(柯志達)の妹よ!

 哥哥がひっそりと私達のもとを去って、もう一月が過ぎてしまった。あまりの痛みに心が扉を閉ざしてしまったような日々に、私達はあとどのくらい耐えられるというのだろう? 掲示板のファン達が綴った文字はまるで泣いているように見え、この私はといえば言葉を発する勇気が出ずにいる。ここで無理して強がっても、眼からあふれ出た涙は、まるで糸の切れた真珠のネックレスのように、止まることなく頬の上をすべっては落ちることだろう。ならば強がることなどせず、ここで哥哥の生命の小さな一小節を皆さんに伝えさせてもらうこととしよう。

 私の兄は90年代に、雑誌「People」中国語版の編集長をしていた。仕事の関係で、張藝謀や王家衛など多くの名監督と親交があり、中でも王監督とは最も仲がよかった。「楽園の瑕」が内地でクランクインする際、王監督は通常は公開しない撮影現場に、宣伝のための記事を書く兄を特別に招待してくれた。

 兄はもともと林青霞一人をインタビューするつもりであったが、兄が撮影所を訪れた時、青霞姐はちょうど撮影に忙しく、哥哥は出番待ちで時間があった。王監督の誠意ある紹介のもとに知り合った二人は、まもなく旧知の仲のように打ち解けた。古今東西の映画に対する造詣、監督という仕事に対する熱い思いなどが二人の共通点となって、話は尽きることがなく盛り上がり、それはお互いに何故もっと早く知り合えなかったのだろうかとため息をつくほどであった。

 兄が台湾に戻ってから完成させた「張國榮独占インタビュー」は、王監督の手を経て香港の哥哥の手にわたった。数週間後、「楽園の瑕」の宣伝のために台湾に来た哥哥は、人々の声で湧きかえる記者会見の席で一番端に座っていた兄に眼をとめると、自分の発言の順番が回ってくる前に兄に向かって手でサインを送ってきた。それは親指を立てたり、両手を合わせて感謝の意を表したりというものであったが、兄にはそれが何を意味するのか、一体誰に向かってしているのかがわからず、きょろきょろと周りを見回した。それに気付いた哥哥は、人差し指で兄の方を指し、両手で口の周りをメガホンのように覆うと、口をゆっくりとパクパクとしながら言った。「志達、君に言ってるんだよ、おバカさん!」

 記者会見が無事に済んだ後、哥哥は待ちかねた様子で兄に駆け寄ると、熱い抱擁で兄を驚かせた。哥哥は、あのインタビューがデビュー以来最も誠実に彼の心に問いかけてくれたものであったことを兄に告げ、何度も感謝の念を述べた。話は当時の香港の一部メディアのレベルの低さにまで及び、これから後、二人は頻繁に連絡をとるようになって、台湾と香港の間を行き来するようになった。私はよく兄の口から哥哥に対する賛美を聞いていたが、それは哥哥がどんなに優しく思いやりのある人かということや、全くスター気取りのない気さくな人柄についてなどであった。
(兄の著作である台湾円神出版社の「星星卸粧」にも哥哥のことが記されている)

 ある日、私は兄に、もしチャンスがあったらそんな素晴らしい哥哥に会わせてくれるよう頼んだ。兄は心の中で、「僕たちと君とでは世界が違うんだ。哥哥がどうして君に会うものか?」と考えたようで、まともに取り合ってはくれなかった。ただ、何かの折に哥哥に「僕の妹があなたに会いたがっているんですよ!」と言った時、哥哥は「いいよ!今度僕が台湾に来る時には、君の妹を連れて来るのを忘れないようね!」と言ったそうだ。
もちろん、兄はただの社交辞令だと思い私には伝えてくれなかったが、次に哥哥が台湾に来た時、「あれ!どうして君の妹さんは一緒に来なかったの?」と言って、兄をびっくりさせた。哥哥が友達のことならどんな些細なことでも気にかけているということが、こんなことからもよくわかる。どうして感動せずにいられるだろう?

 何年も過ぎた今日、兄からこの話を聞いて、私の心はナイフで切り刻まれたかのようだった。これを幸せなこととしたらよいのか、それとも遺憾なこととすべきなのか、私にはわからない。哥哥に会えなかったことは遺憾とすべきだろうが、でも、もしあの時に会っていれば今日のこの痛みは数千倍、数万倍にもなっていたことだろう。そんなの私には耐えられない!

 兄は94年にアメリカに渡り、ニューヨークで博士号を修めた。この頃からかつての業界の友人達とは疎遠になってしまい、また、帰国後は自分で起業した仕事に忙殺され、久しく連絡をとっていなかった哥哥とは、そのままになってしまっていた。4月1日は私達の父の八周忌だったが、ちょうどその日に哥哥の驚くべきニュースを聞いた兄は大声を上げて泣き崩れ、長いこと自分を取り戻せずにいた。楽しかった過去の思い出がまるで走馬灯のように頭の中を廻り、兄は哥哥との友情を何故もっと大切にしなかったのか、何故アメリカの連絡先をきちんと伝えなかったのか、何故哥哥が心を打ち明けられる友人としての役割をきちんと演じなかったのか、後悔に苛まれていた。しかし、哥哥はもう逝ってしまった。何を言ってももう遅い。ただひとつ、兄に深くわかっているのは、哥哥が皆に彼の死因を憶測して欲しくないと願っているだろうということだけだ。

 哥哥が亡くなってから、私と兄は毎日哥哥のために読経した。そして、その祈りは哥哥にも通じたかのようだった。回魂夜の夜、私の夢枕に哥哥が立ったのを、私は夢うつつに感じた。彼の顔にはいつもの甘い微笑みが浮かんでいたが、それは瞬く間に消えてしまい、時計を見ると午前3時50分頃だった。二日後、一匹の蝶が私の家の前を飛んでおり、ちょうど出かけようとしていたの私の回りを二周すると離れて行った。そして、更に私を安心させるのは、哥哥のために読経していると、どこからともなく漂ってくる淡い香りだ。それは、まるで哥哥が兄やファンのみんなに送ってきた、天国からの知らせのように思える。みんな、安心して!みんなが哥哥に限りない想いを送り続ければ、哥哥はきっと極楽浄土へと導かれることでしょう! 哥哥は、いつだって私たちの心の中に生きている。これからも、ずっとずっと永遠に。私たちが年老いてここを去り、天国で哥哥に再びめぐり会うその日まで!







日本語訳:小蘭

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Leslie Cheung Cyber World

「星星卸妝」より


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