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80年代のアイドルスターの頃から、監督への夢を語っていたレスリー。
その夢がいよいよ形となって、前に進もうとしていたのが2001年だったようです。
 この2年半手つかずだったレスリの初監督作品が頓挫してしまった頃の関連ニュースをまとめてみました。彼が亡くなった当時は、日本でのみにくいゴシップ記事に抵抗すべく、事実らしき記事をまとめてやろう!と思って神経とがらせていたのですが、日を追ってまとめていくうちにだんだん落ち込んでしまい、2年半放ったらかしにしていましたが、今日再びまとめてみました。 (2005.8.24)

2001.5.13 北京で行われた北京宝石影業公司の新作記者会見に出席。すでに彼はこの会社と2本の映画の契約をすませていて、一本はみずから監督するそうだ。・・という報道。
2001.12.23 陳自強(ウィリー・チェン)*1  入院。レスリーが見舞いに。1ヶ月ほど前に彼等はすでに口頭で、陳自強が張國榮の映画および広告のマネージャーをするという合作の協議が有ったとのこと
2002.2月 レスリーの監督処女作品に韓国の宋承憲(ソン・スンホン)に出演を求める動きがあったが、結局シナリオが未完成だったため話はなかったことに。この頃ツイ・ハーク監督の「三少爺的剣」での共演の話があがっていた。
2002.2.28 いよいよ具体的な監督作の話が出てきました。レスリーが初監督作品に選んだ選んだ女優は「新上海灘」で共演した大陸女優の寧静(ニン・チン)。そして、脇を固めるメンバーには和田恵美、美術の張叔平(ウィリアム・チャン)の名前も。
2002.3.8 制作公司「夢幻聯隊(Dream League)」を設立

3/8の中国人民によると、本格的に監督業の準備をしているレスリーは、監督兼俳優であるジャン・ウェン(姜文*2)を訪問し、プロデュース等についていろいろと話をしたようです(LL情報的箱より)

ちょうどこの頃、明報のユニース・ラムとの対談で、意気揚々と自信たっぷりに監督業に対する思いを語っているレスリー その記事はこちら
2002.3.11 処女作に胡軍(フー・ジュン)と寧静の出演が決まっていた。物語は張國榮自身が構想、何継平が執筆した。5月中頃に青島で撮影開始される見込み、と報道。レスリーはピアニストの芸術家を演じる。寧静は既婚の若い女性に扮し、胡軍は成功した夫を演じる。このほかに、沈殿霞(肥姐)なども出演。
2002.3.13 成龍の演藝公司に加盟後、初めての映画を自分で監督し出演することになる。同じ頃、關錦鵬(スタンリー・クワン監督)は哥哥の為に新作映画『幸福摩天輪』の撮影を後に延ばすということだ。
2002.3.14 5月1日に青島でいよいよクランクイン決定(北京宝石影業投資公司がこの情報を認めた)。タイトルは「偸心」
「これから5年は 大陸での映画のピーク」と語るレスリー。

彼は、陳凱歌の『覇王別姫』はかつて彼に自信を取り返させてくれ、『紅色恋人』はまた彼のパフォーマンスの別の領域を開拓し、最も忘れがたい芸術形象が残ったと語った。「初めて監督をする、良い時期に巡り会った。内地の電影民営投資に対しての政策の緩和に、僕の監督の夢をとても早くかなえさせてくれた。」 聞くところによると、彼のこの『偸心』は内地映画として、電影局の通常の審査の上、指示を仰ぐ手続きを受けるそうだ。(Tam-kiさん記事より引用)
2002.3.21 「三少爺的劍」の主演格の俳優がレスリー、トニー、ソン・スンホンに決まるとの記事。
2002.3.22〜3.27 「異度空間」の精力的なプロモーション。

「まじめな話、今映画界は根本がしっかりしていない。僕が今回こんなに力を入れているのもすべては多くの観客にこの映画を気にかけてもらい、たくさんの人をつれて映画を見てもらって映画界を活性化させたいんだ」
(LL情報的箱より)
2002.3.26 脚本内容と青島の景色の調和に納得がいかず、撮影を開始できないかも。新しいロケ地を探索する考え。
2002.4.7 アニタ演唱会 千秋楽にゲスト出演(哥哥は本当は体調が悪い・・とのムイ姐発言)
2002.4.18 寧静と胡軍のところへ 一人赴く
2002.5.16 「異度空間」の呪いか?と噂される。体調不調を訴え、黄耀明との共同制作アルバムが一向にはかどらない。

翌日一旦仕事を休むことを表明

記者のインタビューに哥哥は「シナリオを急いで直す。満足していない。全部書き直す必要があるかもしれない。」
2002.5.25 Nokiaのイベントに出席 「Leslie」という名の星を贈られる。

「近頃どこへ行っても脚本のことで頭がいっぱいで、精神も穏やかでない。始終役者をするのと監督をするのでは違うからね。CDはすでにとり終えている。早くおわったから精神方面で確実に辛さも少なくなった。<イベントでもらった星について>この星はLeslieっていうんだ。僕はとてもうれしいよ、イベントに感謝してる。(あなただったら誰に星を贈りますか?の問いに)僕を長年支持してくれている多くのファンに贈りたいね」と語った。(LL情報的箱より)
2002.6.1 環球(ユニバーサルレコード)に2週間の休みを求める。

この後、黄耀明とのジャケット撮影もキャンセル
2002.6.4 仕事再開。黄耀明、レコード会社の幹部らと共に会う。記者が見たところレスリーは常に笑みをたたえており、「ただの胃炎にすぎず、健康状態はとても良い」と語った。このころ既に映画監督の話題は一切出てこなくなった。
2002.6.12 予定されていたジャケット撮影当日、不調を訴え欠席。環球(ユニバーサルレコード)はすでに突発事態に対処し、レコード・ジャケットは写真を図案に変える計画。
2002.6.20 長距離電話で「元気だよ」。この頃でも執拗なパパラッチの追撃はまだまだ続いている。
2002.7.10 哥哥、胃酸逆流で咽喉を痛め3ヶ月休養。一切の仕事を休むことに。
2002.7.29 ミッシェル・ヨウ主演映画の『天脈傳奇』プレミアに出席。早々と会場を後にする。
2002.9.12 哥哥46歳の誕生日 〜 彼の復調を願いつつ、日本のファンたちが明報新聞にお祝い広告を出した。他、同時に香港のファンたちもまたネット上でメッセージを送ったり、FAXでラジオ局へリクエストをしたり、中国の武漢ではファンのグループが、武漢の江漢路にある大型スクリーンの宣伝時間を買い、時間になると哥哥の歌が流れバースデイを祝った。また上海のファンも自らパーティを開いたと報道される。

レスリーは今年はタイへ行ったりなどの派手な事はせずに、おうちで親しい友人たちとだけで誕生日を祝った。ただ、新聞に掲載された写真を見る限り、その痩せ具合に少々不安に思ったファンも少なくはない。
2002.10.6 「2002CASH金帆音樂獎頒獎禮」に音楽大使として出席。とっても軽快なノリで、記者たちにも写真を撮らせ、病気であるうわさのような感じは全くないご様子。
2002.10.10 セントラルにこの度OPENしたdunhill(ダンヒル)のオープニングセレモニーに出席。
2002.10.17 台湾第39屆金馬獎にて、『異度空間』でレスリーが主演男優賞にノミネート
2002.11.3 香港の芸能人関係者たちが300人近く集まった、抗議行動に出席するも、いつもの元気が全くなく、影も薄い。
2002.11.13 『明報周刊』主催の『演藝動力大奨2002領奨典礼(今年一年最もがんばった芸人さんへの賞)』が開催。大親友アニタ・ムイから映画部門での『最突出男演員奨(最も活躍した男性アーティスト)』を送られた。台湾の金馬奨には欠席。 
2003.1.17 第25回十大中文金曲にて、金曲銀禧榮譽大獎受賞。香港音楽界を支えてきたアニタやアランなどそうそうたるメンバーと共に授賞式に出席。
2003.3.8 ペプシチャリティコンサートのゲストとして出席するも、オープニングセレモニーの挨拶のみですぐに帰る。

*1 ジャッキー・チェングループ代表 アーティストキャンパス代表

*2 『太陽の少年』などで知られる監督、脚本家、俳優

2001年から約2年にわたるニュースのソースは、Tam-ki様のいんたーねっと記事のサイトから了解を得て、主に拾わさせていただきました。Tam-ki様に心より感謝致します。









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