歌者非歌 その1
(2003年4月12日及19日 1796期及1797期「明報周刊」掲載)
文:羅啓鋭
歌者的襯衣(歌手のシャツ)
昔、君がまだボビーと呼ばれていた頃、人々がわかったようなふりをして「AmericanPie」を分析していた頃、まだあどけなさを残した君はステージに上がり、鼻にかかった声でこの歌を歌った。この時の君のパフォーマンスを見て、それに啓発されて「Killing
Me Softly」を作った人間がいるなんてもちろん僕は信じないが、人々は後に君がステージから投げた帽子をステージに帰してよこした。
ステージの上や下を行ったり来たりして、いつの間にか20数年が過ぎた。
君について僕が憶えていること、そして書いてもいいと思うことは二つある。
ひとつめは、80年代のニューヨーク。当時、君は有名になりかけた頃で、ニューヨークにコンサートにやって来た。憶えているだろう、5、6時間も車を飛ばしてアトランティックシティのカジノに行ったことを。君はサンダーバードを借りてきて、僕の授業が終わったら一緒に行こうと言ったが、遊び好きの僕は、あっさり授業をサボって君に付いて行った。
初秋のハイウェイは黄金色に輝いていた。道のりはとても愉快で、皆のおしゃべりは途切れることなく続いた。それは風の中に語られる思い出話であり、灯りの燈り始めた東海岸を眺めながら語られる、果てしなく広がる未来への憧れであった。
記憶の中の君は、時々言葉をはさみながら、風に向かって完成したばかりの風に関する歌をハミングしていた。
風の歌を聴き、歌の風を聴き、本当にいつの間にか20数年が過ぎてしまった。
黄昏のアトランティックシティは、キラキラと輝きながら寂しそうに水辺に向かって広がっていた。建物のひとつひとつに光が反射して、まるで海に浮かぶ蜃気楼のようだった。君は興奮した面持ちでカジノの楽屋に入っていったが、中には何もなく、そして誰もいなかった。メイクもヘアも、衣装係さえもいなかった。
僕は、なんだかちょっと申し訳ないないような気持ちになった。君は僕の手助けを拒み、一人で黙々とアイロン台を出し、ステージで着る衣装に霧を吹き始めた。誰の助けもなく、一人でアイロンをかけながら、君は突然おしゃべりになった。
だけど、僕にはわかっていたよ。僕のような古い友達を前にした君の心の中の惨めさが。
あの頃の僕だって、ただのグリニッジビレッジの貧乏学生にすぎなかったけど、僕は君に言わなかった。君に出演を頼んだのは、僕がブラックマーケットのバイトをしているチャイナタウンのボスだってことを。それに、ボビー、君のアイロンはコンセントが入っていなかったんだ。
君がこっそりとステージを見に行った時、僕はアイロンのコンセントを差し込んだ。そして、来週カーネギーホールである、ドン・マクリーンのコンサートに一緒に行かないかと誘った。君は、新しいアルバムの宣伝のため、香港に帰らなければいけないので、時間がないと言った。
翌日、君はお昼のフライトで発ち、翌週、僕はカーネギーホールへ行った。10ドルのチケットは、なかなかよい席だった。ステージの上には何もなく、一客の高椅子と一本のアコースティックギター、そして、ドン・マクリーンと素晴らしい歌の数々。でも、彼のシャツにも、アイロンがかかっていなかった。そして、彼のその後の20年間も、君のそれほど恵まれてはいなかった。
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