これ以上彼を侮辱するような記事は書かないで!
アニタ・ムイは悲痛な思いで精神的打撃も大きかったが、「明周」の取材を受けてくれた。哥哥の代わりに心の中の思いを話すために。
「私は報道陣がレスリーに対して公平になってくれるのを願っています。現在の状況はこんなにも悪く、哥哥が逝ってしまって本当に辛い。ただどうかこれ以上彼に汚名を着せないでほしいの」
「もし彼が病気でなかったら、きっとこんなことにはならなかった。唯美主義の彼が自分をこんなむごたらしいめにあわせるはずがないわ。病魔が彼を支配してしまった。彼の最後の日々、どんなに多くの苦痛を抱えていたか誰にも分からない。私たちは彼の憂鬱と苦痛を分かち合うことができないのだから、どうか死んだ後まで彼を苦しめるようなことはしないで。彼のような気持ちになって彼のような病気になったらどう?」
「私たちは正面から向き合うべき。哥哥の自殺はひとつのメッセージよ。病人にはまわりの人たちの気遣いが必要だということ、彼は私たちが身の回りの人により多くの関心をもたなければならないということ、そして肉親や友人をよりいっそう大切にしなければならないということを言い残したのだと思う」
「哥哥は仕事に200%の力を注いでいたわ。そしてこの社会のために多くのことを残し、芸人としての責任は十分に果たしたわ。でも、メディアは彼を一時だってほっておいてあげなかった。彼は気にしていないふりをしていたけれど、本当は気にしていたのよ。抑鬱病は一日でなるものではなく、日々の心労が重なってなってしまうもの。私は、あるいくつかのメディアに責任があると思っている。彼のお葬式にそうした報道機関の記者が来るなんて許せない。これは哥哥本人も願っていることよ。メディアと芸能人は本来は互いに助け合う関係だったのに、どうしてこんな風になってしまったの?哥哥が生きているとき、彼らは彼をほおっておかなかった。死んでからもまだほおっておいてあげない。そんな風に哥哥につきまとった人たち、夜、哥哥が探しにくることが怖くないの?私はこの場を借りて哥哥のすべてのファンに呼びかけたい。そんな雑誌を買うのをやめなさい。見るのをやめなさい、と。良心のない人たちにはかまわないで、と。そんな雑誌を買うお金はとっておいて、教育性のある有益な書物を買うのに使って、と」
「私はその雑誌の取材は長いことうけていないけれど、今後もし、私が記者会見を開いて、彼らが来たら、出て行ってもらうわ。私を無情だなんて責めないで。私はこの場を借りて、ほかの芸能人にも呼びかけたい。できるだけ彼らをボイコットして、と。芸能人の助けがなければ、彼らは生きてはいけないのだから」
「彼が去ってから、心の痛みで話すことができないし、突然自分が十歳も老いたような気がする。ずっと神様になんで? と問いかけ続けている。今になっても私の頭の中は分からないことばかり。私の友だちも彼の友だちも私が受け入れられないことを心配して、私に付き添い、自分を大事にしてと言ってくれる。多くの人がさまざまな方法で私を伺ってくれてこの世に情があることを教えてくれる」
アニタ・ムイが後悔しているのは、哥哥の病気がそんなに重いということを知らなかったから。彼女は自分を苛み、哥哥への気遣いが足りなかったのではないかと自分を責めている。
「哥哥は喜びは表現するけれど、憂鬱な気持ちは外に出さない人だった。残念なのは、彼の目には私が妹と映っていたこと。彼は私が手に余すのを怖がっていたし、私に心配させたくなかった。だから病気であったことも私に知らせなかった。ただ、胃液が逆流しているから体の調子が悪いとだけ言っていた。あとで、哥哥が沈んでいて情緒に問題があることを人から聞いたけど、彼の状態がそこまで悪いとは本当に知らなかった。私はさまざまな方法で彼と連絡をとろうとしたけれど、結局彼をつかまえることはできなかった。電話もかけてくれなかった。彼に話したいことをいっぱい書いたカードも送った。私はただ彼に言いたかったの。こんなに彼のことを考えていると」
「去年、私は香港でのコンサートを終えたあと、続いての巡回コンサートで忙しくふさいでいたから彼に話しを聞いてほしかった。そのころ、私は彼にちょっと怒っていた。わたしはただ彼と話がしたかっただけなのに、彼は私を放っておいたから。今、やっと分かったわ。彼の心に多くの苦痛があって?が気にかけることを心配していたのだって。私にストレスをかけたくなかったのだって。それでも、もしも私が積極的に彼を探していたら、こんな風にはならなかったかもしれない。私が至らなかったんだわ」
アニタ・ムイが哥哥に言いたい言葉は”多謝”。でもこの2文字の言葉を言う機会はもうない。「私の20周年コンサートの一日目、哥哥は私に言った。最後の方で必ず来て、特別ゲストとして出演すると。彼のこの言葉はとても心強かった。そのときのコンサートはとても辛く、私は歯を食いしばって、なんとかこなしていたから。自分への要求が高すぎるから、自分に大きな圧力をかけていたのかもしれないけれど、最後の一場を彼と分かち合いたかった。その日、彼は会場へ来てくれた。体の調子はすでに悪かったみたいで、胃が痛いと言っていた。けれども舞台に上がった彼を見て、ファンは気づかなかったはず。出てくれたあと、彼は先に帰ってしまったので、ありがとうを言う機会がなかった」
哥哥はアニタ・ムイをとても可愛がっていた。それは傍目にもわかるほどに。85年の彼の第1回目のコンサートの特別ゲストはアニタ・ムイだった。それは会社の考えではなく、彼の意思だった。「僕と彼女は本当にいい友だち同士なんだ。彼女は近い将来、自分のコンサートを開くだろうから、観衆の反応を彼女に見せておきたいんだ。観衆の反応は鎮静剤のようなもの。観衆がアニタ・ムイに喝采を浴びせるのを聞いて、心の中で思うんだ”アニタ、だいじようぶ、いけるよ、って」
この思い出話を聞いて、アニタ・ムイは言った。
「私と彼はいい俳優仲間だったし、いい友だち同士だった。20年前、私たちが華星でいっしょにゼロから始めたとき、彼がいれば私は安心だったし、私がいれば彼も安心だった。彼の最初のコンサートのとき、私はとても心配だった。私を特別ゲストにしてくれてほっとしたわ。私たちは手に手をとって、多くの困難をのりこえてきた。私が沈んで、部屋で泣いているとき、彼がなぐさめてくれて、私は楽になった。彼が沈んでいるとき、私は彼の手をとって、お互いに支えあった」
デビュー当時、2人はいっしょに飛行機に乗った。
「私たちは一番後ろの座席に座った。椅子の間の肘掛を上げて、横になって眠った。椅子に上と椅子の下でかわりばんこに。前に向かっていた日々の中で、互いに励ましあい、思いやり、苦しくても疲れを覚えなかった。私たちはホテルに止まるとき、部屋から部屋へ直接行き来できるようにしていた。一度ニューヨークに行ったとき、泊まったのがハーレムで、夜半に酔った黒人が部屋の中に入ってきたの。驚いた私は大声で叫び、哥哥が私を助けてくれた。私たちは一緒に眠ってみることにした。そして夜明けまで語り合った。みんな私のことをとてもタフだと思いこんでいる。ただ、哥哥の前でだけ私は完全に自分の戻ることができる。一人の女に。しっかりして見せる必要がなかったの。彼が私を守ってくれたから。本当に本当に私を愛してくれた哥哥・・・」
アニタ・ムイは突然もっと早くに逝った陳百強を思い出した。「彼は私の弟のようだった。私が彼を守ってあげないといけなかった」
「私と哥哥は家族との関係がとても似ていたの。嬉しかろうと悲しかろうと、お母さんと話すことはほとんどなかった。彼は私の家族よりも私のことを理解してくれた。私は何でも彼に話したし、付き合っている恋人さえも彼に見てもらった(チェックしてもらう)。彼がいいやつと思えば私も安心だった。もしも彼が「たいしたことはないね」と言えば、私もその恋人を減点したわ」
のちに、哥哥が華星を離れて仕事がすごく忙しくなって、何年かアニタ・ムイと会う機会が減った。「私は彼が突然私のことを忘れたのかと思い込んだわ。私は傷ついた。あとでいっしょにそのころのことを話してやっと分かったの。彼がどこにいようと私のことをとても大切に思っていてくれていること。そしてそれは私もいっしょ。彼は私の永遠の哥哥。私たちの関係は親密になって……」
アニタ・ムイはその関係を表現するのにぴったりの言葉が思い浮かばなかった。「どのみち、二言三言では言い表せないわ」
アニタ・ムイにとって、哥哥が逝ってしまったことは大きな大きな打撃だった。彼女が立ち直るのには時間が必要だろう。「彼がこんな私を見たくないのは分かっているの。彼は心配しているだろうし、もしも彼が多くのことを気にかけたら、この世を捨てきれないで、生まれ変わることができないわね。彼を安らかに逝かせてあげるために、私は強くならねばね」
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