<die tageszeitung ‘03・4・4より>
http://www.taz.de/pt/2003/04/04/a0134.nf/text
「Die Asche der Zeit 時の灰」
スクリーンのヒーローの死:ホテルの窓から飛び降り、俳優で香港のスター、レスリー・チャンは4月1日、彼の人生の幕を閉じた。
香港から来た2人のゲイの青年がアルゼンチンを旅している。彼らの目的地は、魔法の地、イグアスの滝である。道中ではホテルのベッドの上で愛し合ったり、車の中でタバコをふかしたりする。そのうち乗っている車が道路脇で故障する。この抑えがたい激情はヌーヴェル・ヴァーグの引用句のように見え、ラッシュ(撮影された未編集フィルム)はそれを使い果たした。
ライ・ユー・ファイ(トニー・レオン)はブエノスアイレスでタンゴ・バーのドアマンの仕事を見つけ、ホー・ポー・ウィン(レスリー・チャン)は華奢で繊細なアジアの‘子猫‘としてヨーロッパの客達に囲われていた。メランコリーと停滞の他には、ウォン・カーウァイはこの映画「ブエノスアイレス」で二人には多くのことをさせていない。
この20年の香港映画からレスリー・チャンという人物ははずせない。また、それだけではない。なぜなら彼はゲイのスタイルを体現化することに思いきって賭けた数少ない俳優とされるからである。
俳優としての賞賛は‘86の30歳の頃、ジョン・ウー監督の「男たちの挽歌」にチョウ・ユンファと共に出演した時に集まった。チェン・カイコー作品では「さらば、わが愛」、ツイ・ハークとチン・シュウ・タンの作品では「チャイニーズ・ゴーストストーリー1・2」に出演した。ウォン・カーウァイ作品においては「ブエノスアイレス」だけでなく、「欲望の翼」や「楽園の瑕」でも演じた。
レスリー・チャンは1956年に香港で10人兄弟の末っ子としてこの世に生まれた。両親は早くに離婚し(訳注:不仲だったけど離婚はしてなかったような・・?)彼はイギリスの学校、リーズへ留学、帰国後,当時イギリス領の香港で、まず歌手としてのキャリアを開始した。彼の広東ポップは東南アジアの若者を熱狂させた。‘90初めにレスリー・チャンはカナダへの移住を計画したが、すぐに復帰を決意した。
4月1日、火曜日、彼は香港のホテルの24階から飛び降りた。カーウァイは言った、「彼は冗談で、自分は伝説だと言っていた。我々も彼のことをそう呼んだ。だが、誰もこんなやり方で彼が伝説になろうとは考えもしなかった。」
以上がtageszeitungの記事。もう1つは・・・・
<DIE WELT ‘03・4・4より>
http://www.welt.de/data/2003/04/04/64133.html
[さよなら、レスリー・チャン]
もし人々がそういうのなら、レスリー・チャンの脚光を浴びた人生、早すぎた死、全ては定められたものだったのだ。
彼の父はヒッチコックやマーロンブランドのオーダーメイド服の仕立て屋であった。彼の息子、レスリーがそのような服を享受するようになるまでには、イギリスでのバーテンダーやシンガポールでのジーンズショップの店員などのいくつかの回り道が必要であったが、25才の時,彼は香港の若者のアイドルとなった。いわば、歌うジェームス・ディーンー反抗的だが繊細で傷つき易く、危険でありながらも細やかで愛情にあふれたーであった。
彼を一部のアイドルにとどまらず大きく飛躍させたのは、今まさに世界的名声を得ようという3人の監督との仕事であった。ジョン・ウーの作品「男たちの挽歌」で彼は、彼の兄が彼らの父を殺した(訳注:兄は直接殺してないですよね)事を知る警察官の役を演じた。ウォン・カーウァイは「欲望の翼」で彼を女の心を惑わす男として使い、そしてチェン・カイコーは「さらば、わが愛」において彼を女郎と結婚した兄弟子に恋焦がれる京劇生の女形の役につけた。
チャンは東アジアの中で、同性愛を公言した数少ないスターの一人だった。3年前の歌手復帰コンサート(訳注:まちがい)で彼はコンサートごとに、他よりエキゾチックなゴルチエデザインの8着の衣装を身に纏った。‘情人‘(konkubine=英:concubine)の終末に、チャンは自殺をした。そして彼の遺作「カルマ」では,彼は死んだ恋人の霊につきまとわれ,彼女が彼を死へのジャンプへとおびき寄せた。この前の火曜日、4月1日にレスリー・チャンは香港のマンダリン・オリエンタルホテルの24階から、自ら飛び降りた。46才であった。
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