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TOPメモリー追悼の言葉絶代芳華:張国栄不滅の花火
☆おしゃしん


信報 (9/4/2003)掲載追悼文

「絶代芳華:張國榮 不滅の花火」
洛楓 (作家、文學研究者)



絶代芳華:張國榮不滅の花火

 昨年、私が「盛世邊縁」という本を出版するにあたって、その中の一編である任剣輝と張國榮の「性別易装」について書かれた文章に使う写真が必要になった。私は小思にこの件に関して無報酬という条件のもと、出版社と私に彼の写真を使わせてくれないか、哥哥に連絡してほしいと頼んだ。哥哥からは間もなく連絡があった。そして、私がいったいどんな文章を書いたのか彼に見せること、私の選んだ写真があまりよいものではないので、もっと効果的な写真を提供するからそちらを使用するように・・・という二つの条件のもと、私の申し出を快諾してくれた。しばらくたって写真が届いた。その中の一枚は「白娘娘造型」であった。これはもともと「覇王別姫」の為に撮影されたものであるが、結局は使われることがなかった未公開写真である。彼は自分の手元にもネガがないので、くれぐれも紛失しないようにと我々に念を押した。私の文章に関しては、哥哥が大好きで、しかも尊敬する任姐と相並んで評論されることは非常に光栄であり誇りに思えると言ってくれた。


張國榮に関する幾つかの記憶

 昨年の2月22日、哥哥は小思の招きにより香港中文大学で講義をした。テーマは李碧華の小説の中の人物を如何に演じるかということである。その時、私は彼に一つの質問をした。それは李碧華の小説「覇王別姫」のオリジナルでは、同性愛が非常に寛容で平和的、しかもナチュラルに描かれていたのに対し、陳凱歌が映画用に書き換えた後は映画の中に極端な「恐同意識」が漂っていた。これは同性愛が持つ自主的、独立的な選択の意向というものを歪曲するものではないだろうか。同性愛を否定的に見ない一人の俳優として、あなたは自分の演技力をどのように使ってこの作品中に漂う恐同意識を覆そうとしたのか? というものだったが、それに対する哥哥の答は実に感動的だった。彼は、自分はオリジナルの小説を読み、李碧華とも話し合ったと言った。しかし、同時に中国大陸の第五代監督としての陳凱歌の個人的バックグラウンドも理解できると。文化革命の時代に成長した陳監督は依然として彼を取り巻く保守的な壁と対峙しており、同時にこの映画が国内・海外市場に売り出されることへの考慮やプレッシャーということなど、監督には監督としての悩み、そして難しい部分があったのだと。そういったことをすべて踏まえた上で、一人の俳優として自分にできること。それは、自分の持てるものの全てを投げ出して「程蝶衣」という役を演じきることであったと。それは、映画という限られた空間の中に、自分独自の演技方法で、程蝶衣の何者も顧みない、決して朽ち果てることのない同性への愛を、細やかに繊細にフィルムの光と影の中に浮かび上がらせること。そうすることによって映画を見る観衆に自分で感じさせ、自分でわからせるのだと。ここで、哥哥は二つの表情と動作をしてくれた。それは程蝶衣の兄弟子小楼に対する細やかな切々とした思いを、どうすれば目と身体を使って表現できるかというものを実際にやって見せてくれたものだった。これらのことを思い出しながら「覇王別姫」のひとつひとつのシーンを見ると、今更ながら張國榮が非常に自覚意識の高い俳優であったことがよくわかる。彼はシーンの一コマ一コマの持つ意味を明確に理解していた。同時に、その制限ある一コマの中で自分がいったい何ができるか、そして、どう演技すれば「自分自身」の演技が制限を超越し、その存在すらも昇華させられるかということを、非常によく理解していたのだ・・・


生命のありのままを見つめる

 張國榮の自殺のニュースは国内だけでなく海外にも非常に衝撃を与えた。香港の新聞報道のみならず、台湾の「連合報」「中国時報」「自由時報」、日本の「読売新聞」でも一面で報道された(これからも続々と世界中のメディアが彼のことを書くだろう)。このことは彼の影響力が地域の枠を越え、遠くの華人や非華人地域にまで及んでいたことを証明するものである。このことを彼の仕事の三つの方面から見てみよう。まず、彼の音楽。80年代の「風継続吹」、「為女尓鐘情」、「MONICA」などのヒットで、彼は香港だけでなく台湾でもアイドルとしての地位を築いた。日本の流行を取り入れた当時のコスチュームや振り付け・音楽は、彼の端正な顔立ちと重なって多くの女性ファン達を魅了し、熱狂させた。

 90年代の半ばに再度カムバックした時には、張國榮のパフォーマンススタイルは性別のジャンルを越えた異色地帯へと路線変更されていたが、独特の響きを持つハスキーな歌声は以前より成熟し、抑えの効いた低音は更に円熟味を増していた。こういった魅力は次々と新しいファンを獲得していったが、その中には昔の彼を知らない若い世代や国内外のホモセクシュアル層も含まれている。

 次は彼の映画。映画界における20数年の間、張國榮は数々の映画史上のバイブルとなる作品に出演し、「チャイニーズゴースト ストーリー」の寧采臣、「ルージュ」の十二少、「覇王別姫」の程蝶衣、「欲望の翼」のヨディ、「ブエノスアイレス」のウィンなど、彼でなければ演じられない役どころを演じてきた。これらの役のイメージは観衆の心に深く焼きついているだけでなく、香港映画と華語映画の重要な構成部分となった。性別や性の趣向、民族や国境の壁さえも超越した彼の演技は、海外や国際社会でも広く肯定され、崇拝の対象となった。台湾のホモセクシュアル監督である陳俊志氏は、マドンナでさえ「覇王別姫」を見たあとで程蝶衣に嫉妬したと言っている。


我是顏色不一樣的煙火(私は色合いの変わった花火)

 最後は彼のショーパフォーマンス。これにはコンサートやMTV、CMなどが含まれるが、これらの初期の頃と最近のものでは全く異なった演出スタイルがとられている。初期の頃の日本の流行を取り入れた勝手気ままなイメージは、最近の性別を越えた大胆で斬新的なものに取って代わったが、それは彼を「族群の符号」とし、一つの年代のシンボルとして我々を新しい領域へと導いた。男と女という両性が同体となったようなステージ上での彼、MTVの中で男の肉体の持つ美に対する崇拝と肯定を表現した彼。香港のみならず全ての華人演芸圏の中に、彼のように勇敢で豪快でしかも美しい、徹底したアーティストはこの先も絶対に出ないだろう。これは張國榮だけが持つスタイルなのだ。 

『I am What I am 私はずっとこんな私が好き』   哥哥は、彼の神から与えられた才能とデリケートな感情を利用して、明るい光の中に立った。孤独から抜け出し、生命のありのままを見つめた。 『私は私、色合いの変わった花火』   私は信じている。この花火が、彼の死とともに消えてしまうものではないということを・・・

洛楓
信報(2003年4月9日)



日本語訳:小蘭


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