Beautiful Alone 美しき孤独
香港の廣東ポップスのスターで俳優のレスリー・チャンの自殺は、下手なエイプリルフールのジョークのようだった。あの夜、アジアでもっとも愛されたエンターテーナーであり、公然とゲイの役を演じることを厭わない僅かな中国人俳優の一人である46歳のチャンは、香港のマンダリン・オリエンタル・ホテルの24階のスポーツジムから飛び降りて死んだ。
彼の父はウイリアム・ホールデンの晩年のテイラーであり、彼はその十人の子ども達の末っ子だった。彼が注目を浴び始めたのは新人発掘のコンテストで2位になった1977年だった。彼がある層に素晴らしいとされるようになったジョン・ウーの「男たちの挽歌」(1986)でのぴったりの警官役で、チャンは初めて成功したポップスターとなった。彼の伝説はツイ・ハークの「チャイニーズ・ゴースト・ストーリーT&U」(1987,1990)やスタンリー・クワンの「ルージュ」(1988)の主役となることで発展していった。しかし彼の芸術的な新境地を開いたのは、チェン・カイコーの「さらばわが愛 覇王別姫」(1993)での繊細にして巧みな京劇スターの忘れがたい役の人物描写であった。彼の素晴らしい演技は、彼を海外ではスターにしたが、彼のきらびやかなコンサートと同様にその映画のゲイの一連の場面は、彼を本国での間断ない詮索や中傷の対象とした。
「覇王別姫」は、「男たちの挽歌」やウー監督の「狼たちの絆」(1991)のような初期の映画の中にさえチャンが持っていた絶望と性的混乱の感覚をただ表面に持って来たに過ぎない。彼の上品な顔を曇らせる届きようのない悲しみの自己嫌悪の、あの取るに足りない誹謗の上に、彼の最高の演技は不動のものとなった。「覇王別姫」や王家衛の「欲望の翼」(1991)や「ブエノスアイレス」(1997)においてのように、やさしい瞳を硬質のガラスに変化させる時、優雅な容貌が無情なねじれを帯びる時、チャンは最も素晴らしくなる。
飽くことを知らぬ香港のジャーナリズムは、今やチャンを加齢を恐れた虚しい麗人と評しているか、昨年の幽霊映画「カルマ」を撮影しているあいだ彼を悩ませた鬱状態と不眠症に言及しているかに答えを振るい分けにかかっている。たとえチャンの遺書が公開されなかったとしても、最後の数時間彼は理性的であったと断定したり「情事」が彼を断崖から突き落としたのだと伝えられただろう。今のところ彼の「ブエノスアイレス」での人物・何寶榮がチャンを思い出させる最高のもののようだ。チャンは、その言葉ではあらわせない、けばけばしく、夢のような喜びの稀有な時間の中にいたのと同じようなものだった。多分彼は最後に、彼の役の傲慢な惹句(キャッチフレーズ)によって誘惑されたのだ。
<やり直そう。俺たち、やり直せるさ>
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上記の記事に対する手紙
陳凱歌の「さらばわが愛 覇王別姫」でのチャンの力強く感動的な蝶依の人物描写によって、私は現代中国文学と映画に興味を持った。彼のおかげで王家衛の映画についても、もっと知るようになった。
彼の死は(1980年代に始まった)香港映画製作の黄金時代のひとつの終わりを示し、彼の不在は大打撃となるだろう。合衆国の人々も、京劇の頽廃(「覇王別姫」)から1960年代の華やかな若者文化(「欲望の翼」)までの中国文化への、大変感動的で、魅惑的な洞察を与えてくれる彼の映画に興味を持って欲しい。
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