| 1896年 |
【追】ジン(革斤)誕生(仮定) |
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| 1898年 |
【花】郁忠良、杭州に生まれる。 |
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| 1904年 |
【上】許文強(ホイ・マンキョン)台湾で誕生(仮定) |
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| 1911年10月10日 |
「辛亥革命」 |
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| 1912年 |
【花】郁忠良14歳で両親と死別し、姉の嫁ぎ先である蘇州の富豪パン家に移り住む。 |
1912〜1927年
「北洋軍閥時代」 |
| 1913年 |
【花】郁忠良15歳でパン家を出る。 |
| 1914年 |
【追】ジン(革斤)18歳で欧米パリへ文学を学びに留学。(仮定) |
| 1916年1月 |
「袁世凱(えんせいがい)が帝位につくが、6月に没」 |
| 1916年8月 |
「鄭家屯(ていかとん)事件」日本軍と奉天軍の衝突。 |
| 1917年 |
【追】秋秋(チウチウ)誕生(仮定) |
| 1920年 |
【花】郁忠良22歳。ジゴロの才能開花。 |
| 1920年 |
【追】ジン(革斤)音楽を学ぶ留学生で革命家の女性と学生結婚。24歳(仮定) |
| 1920年 |
【覇】程蝶衣(幼名・小豆子)誕生。 |
| 1921年 |
「共産党創立」 |
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| 1924年 |
【上】欧戦記念碑(The War Memorial)。第一次大戦の戦死者を弔う平和の女神像建設。 |
| 1927年 |
「紅軍設立 於:井崗山」 |
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| 1927年 |
「蒋介石による上海クーデタ勃発」 |
| 1927年 |
【追】秋秋は裏切り者の父ハオミンと別れ、修道院へ。10歳(仮定) |
| 1929年 |
【覇】程蝶衣9歳 京劇養成所「喜福成」10年契約で入門。 |
1928〜1949年
「国民党南京政府時代」 |
| 1930年 |
【花】郁忠良32歳(仮定)。ジゴロ小謝として栄華を極めるが・・・。銃弾に倒れる。 |
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| 1931年 |
【追】漢口で仲間に裏切られ、ジン(革斤)の妻、投身自殺。 |
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| 1931年 |
「満州事変」【追】ジン(革斤)35歳(仮定) |
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| 1932年1月28日 |
「第1次上海事変」【追】ジン(革斤)36歳(仮定) |
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| 1933年5月 |
「塘沽停戦協定(蒋介石)」 |
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| 1934年 |
「毛沢東が最高指導者となる」 |
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| 1934年 |
【上】満州へ行った台湾人許文強(30歳仮定)。好きなたばこの銘柄「666」。 |
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| 1934年 |
【上】夏 吉林で許文強(ホイ・マンキョン)と馮程程(ファン・ティンティン)出会う。 |
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| 1934年 |
【上】丁力(ディン・リク)、「風とともに去りぬ」上映中の映画館へ行く。馮程程を守るためウィンと騒動。 |
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| 1934年 |
【上】丁力の家出火、許文強は丁力の母を救出後、アーカンと名乗る |
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| 1934年 |
【上】上海蟹の季節、大三元のウィンのもとへ殴りこみをかけ、殺害。許文強はアチュンと名乗る。 |
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| 1934年 |
【追】ジン(革斤)、貴州省の教会でイタリア語の地図を入手。38歳(仮定) |
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| 1934年10月 |
紅軍の長征がはじまる(大西遷 1934年10月〜1936年10月) |
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| 1934年10月 |
「紅軍は、国民党軍の攻撃により、拠点である江西省を放棄」 |
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| 1935年 |
【上】1月8日チュウを殺害。遺体を黄浦江へ放り込んだことが報じられる。 |
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| 1935年 |
【上】丁力、俺様の時代到来。馮程程にラブレター書きまくるがすべてライの元に。 |
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| 1935年1月 |
「遵義会議」貴州省の北部地区で中共中央委員会政治局拡大会議が開かれた。 |
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| 1935年1月19日 |
「紅軍、遵義を出発」 |
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| 1935年8月1日 |
「8.1宣言 共産党が抗日救国統一戦線を提唱」【追】ジン(革斤)39歳、秋秋18歳この頃出会う(仮定) |
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| 1935年10月 |
「毛沢東率いる陜西省北部の紅軍と合流」 |
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| 1935年11月 |
「日本軍が河北省東部に冀東防共自治政府という傀儡政権を成立」 |
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| 1935年12月9日 |
「12・9運動」 日本帝国主義打倒がうたわれ、抗日救国運動が全国に広がる。 |
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| 1935年 |
【上】12月26日許文強、馮程程の侍女ライを間違えて殴る。 |
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| 1935年 |
【上】12月27日許文強、美麗洋服で馮程程に再会。自室で結ばれるも、丁力に発見さる。 |
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| 1935年 |
【上】12月30日許文強、ファン・ティンティンの父ファン・キンユーを殺害。 |
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| 1935年 |
【上】12月31日丁力は許文強と会い、撃ち合う。 |
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| 1936年 |
【上】1月1日丁力銃弾に倒れる。許文強(32歳 仮定)、香港へ。 |
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| 1936年 |
【追】秋秋はアメリカ人医師ロバート・ペインに往診を頼む。ジン(革斤)40歳(仮定) |
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| 1936年 |
【追】ペイン、秋秋にはめられたと思い激怒。 |
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| 1936年12月12日 |
「西安事件」蒋介石(国民政府)が西安で張学良(東北軍)に軟禁される。 |
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| 1936年12月31日 |
【追】ジン、レントゲンの検査を受ける。頭蓋骨内に弾頭あり、いつ死んでもおかしくないと診断。 |
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| 1937年早春 |
【追】秋秋、薬局で逮捕され、ジンと別れ別れに。 |
1937〜1945年
「抗日戦争時代」 |
| 1937年晩春 |
【追】秋秋、父ハオミンを上海ホテルのパーティーで殺害、再逮捕。妊娠2〜3ヶ月か。 |
| 1937年7月7日 |
「盧溝橋事件」 |
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| 1937年8月13日 |
「第2次上海事変」 |
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| 1937年早秋 |
【追】ジン、出頭し、秋秋と再会、この頃妊娠8〜9ヶ月前後か。 |
| 1937年晩秋 |
【追】ジン銃殺刑 |
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| 1937年12月13日 |
「南京大虐殺」翌2月まで日本軍、一般市民・捕虜を虐殺。 |
| 1937年暮れ |
【追】秋秋、女の子を出産後死亡。女の子はペインに引き取られ明珠(パール)と名付けられる。 |
| 1939年 |
【覇】修業期間終了、程蝶衣の名をもらう。19歳 |
| 1941年以降 |
【上】第二次大戦中、平和の女神像は日本軍により撤去された |
| 1943年 |
【覇】日本軍に捕らえられた段小樓を助けるため昆劇の「遊園驚夢 牡丹亭」を舞う。程蝶衣23歳 |
| 1945〜1949年 |
「国民党VS共産党」内戦時代 |
| 1945年8月14日 |
「ポツダム宣言を受け入れ日本降伏、終戦へ」程蝶衣25歳 |
| 1949年5月27日 |
「共産党 中国人民解放軍による上海解放」明珠は12歳に。ペイン帰国しそびれる。 |
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| 1949年 |
【追】ペインと明珠は秋秋とジンの遺骨に対面。 |
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| 1949年 |
【覇】人民解放軍のために『覇王別姫』特別公演を天楽劇場で行う。程蝶衣29歳 |
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| 1949年10月1日 |
「中華人民共和国」成立。 |
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| 1949年12月 |
「蒋介石、台湾へ逃亡、台湾国民政府樹立」 |
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| 1950年 |
【追】ペイン、サンフランシスコに帰国。明珠は上海に残る。 |
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| 1966年 |
【覇】程蝶衣46歳、再教育のため甘粛省酒泉に送られ、夜光杯を磨く作業中に小指をなくす。不遇の50代へ。 |
1966〜1976年
「文化大革命」 |
| 1976年 |
「毛沢東死去」毛沢東夫人の江青ら4人組が倒された。 |
| 1976年 |
【覇】段小樓は福州から香港へ逃げた。 |
| 1977年 |
【覇】程蝶衣、名誉回復。北京で結婚。妻はお茶屋さん勤務。57歳 |
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| 1981年1月25日 |
「四人組裁判」江青夫人および張春橋元首相、両名に執行猶予つき死刑判決が下る。 |
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| 1981年1月25日 |
【覇】段小樓 四人組公開裁判を湾仔天楽里にある電器店で見る。 |
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| 1982年 |
「香港政府は不法入国者の取締りを強化」 |
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| 1982年 |
【覇】段小樓、北角の新光劇場の看板に北京京劇団芸術指導〈程蝶衣〉の文字発見。 |
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| 1982年 |
【覇】程蝶衣、段小樓と再会するも「覇王別姫」虞姫の衣装に身を包み自刃。享年62歳 |
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| 1990年 |
【追】明珠、渡米しペインの回顧録をまとめる。 |
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| 1999年 |
「上海解放50周年」 |
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