2004 ネ ン ノ 401 in ホンコン 〜 そしてその日(こぼれ話もあれこれ)
text&photo by Xiang





「夢想之欠片〜ユメノカケラ」
についてはこちら
401までにしたいこと
香港に行くまでに「ユメノカケラ」が届くといいな、と思っていたら、間に合いました。27日に届きました。(thanks>森珪さん)

2冊の本。シリアルナンバーは 1 と 2。
1冊は香港のAiちゃんに持っていってあげることに。

「まちごめ」のファンの方は多いと思いますが、私は森珪さんの言葉がすぅーっと自分の心に入ってくるのが好き。盲目でない語りが好き。いつもの森珪さんの視点の”とてもそれらしき”レスリー・チャンを語るスタイルにどきどき。一気に読み終えたあと、なんだかファンにとっての”腹をくくらなければならないこと”とはこういうことなのかなぁ、と感じました。

29日には「レスリーの時間」も届き、一気に読みました。この2冊はどうしても読んでから香港に行きたかったのです。

yon様のお言葉に・・・
桜は、私の住む神戸では3/29には咲きかけました。

そして帰国後もなお満開。(よくもってくれた)

今年の桜は本当に美しいと思いました。その美しさに圧倒さえさせられました。こんなに桜に思いを入れて眺めたことはありません。

yonがリレー投稿にこんな言葉を書いてくれました。

(今年の桜について)
本当に、綺麗に咲いてよね。
あくまでも綺麗に。
どこまでも綺麗に。
レスリー・チャンという綺麗な人のように。
頼むわよ。

彼女らしい表現だなぁ、って、同時にぐっと心に来るものがありました。

すこしこぼれている話
 今回の401念・張國榮の主催である香港のファンから、2004年4月1日に香港でセレモニーを行うこと、そしてそれに協力して欲しい旨のメールが来たのが11月24日のこと。私を含めLL関連スタッフはみな目の前の「Meet LESLIE Osaka」のことで頭がいっぱいの頃。そして当然の事ながら私がした返事は取りいそぎの「OK。引き受ける」の簡単な言葉のみでした。とにかく、できることは何でも協力する、という気持ちがあったことは間違いないのだけれど。。。この日から「401」への道のりが始まったのでした。

大阪でのイベント(2003年11月30日)が無事終了後まもなく、すでに香港ファンからの協力要請の元各国のサイトのwebmasterが結集していました。日本からはlesliecheungforever.netのwebmasterのFranny、そしてfor Leslie Loversの私、Xiang。私はすぐに大阪イベントを共に行ったスタッフに事情を話し、3名が401スタッフとして加わっってくれました。受付や国内の渉外等の機動部隊とでも言えばいいでしょうか。

 この”memorial projects for 401”の全貌は、4月1日・・・レスリーが私達の元から去った日からちょうど1年となるとても大事な日、この日香港で各国のファンが一堂に集まりメモリアル集会並びに新聞と特別冊子を出すというとても大がかりな計画でした。(のちに、401念・張國榮と決定)

 香港側(主にJoJoとRol)と韓国の代表MINOとの打ち合わせは全てメールとMSNメッセンジャー(チャット)で行いました。もちろん使用言語は英語。(MINOは日本語が出来ましたが)。海外のファンと以前より親交のあるFrannyが必然的に海外窓口をしてくださいました(私はたまーにその会議チャットにFrannyに呼ばれて参加。)彼女が香港側と打ち合わせしたことを日本側に投げかけ、日本スタッフ内で意見をまとめてそれを再び香港側に打診をかける、ということを毎夜していました。

 香港側との打ち合わせは、毎夜こんな感じで・・・・”あーでもないこーでもない”、”いや、それはぜったいできんー”、”わなわな。なんでそうやねん!”、”げーーー、あ、あした〆切っ?”、”時間をくれーー”、”あ、Rolが来たっ汗(チャット画面に現れるとビビるFrannyと我。Rolからの指令にいつもドキドキ)”等等。。。 あまりのプレッシャーと仕事の多さと疲れから(深夜0時〜1時になると壊れていく我ら:一部関西部隊)、本筋とどんどん話題が外れて盛り上がっていて・・ということがよくありました^-^; それもレスリーをネタにつっこみ&ボケ。(※Frannyは関東の人、あとの4人が関西人だったので、彼女のご苦労いかほどだったか苦笑)
(でもねっ、でもねっ、ボケながらも、ツッコミ入れつつも、やることはやってたんやでー・・・って、関西弁で言うとどうも威厳がないのが、ソンしてるよなー)

 年内にはイベントの告知開始。そして、2003年はあっという間に過ぎていったのでした。過ぎてしまえば2003年は悲しい年ではありましたが、同時にとても愛おしい、忘れがたい年だっただけに、2004年に年号が変わる瞬間は何とも言えない寂しい気持ちになりました。でも、そんな余韻に浸る間もなく、401イベントの受付は元旦を過ぎた1月4日から開始しました。「正月の三が日」が大事なのは日本のみ(-_-;)。最初、各国のファンは1月1日から受付を開始しよう!!、と言ってたのですが、”そ、そ、それだけは無理です〜” と勘弁してもらっての1/4でした。それにしても、何とも慌ただしい年明けだったのでしょう。”いつまでこれが続くの?”とときどき怖くなったりもしました。

 3ヶ月も前からの受付開始で、それも4月1日は平日の木曜日。年度初め。あまりに幾多のことを調整し香港へ渡らなければならないと簡単に予想がつく、というのに、参加希望者のメールはどんどん入ってきました。”レスリーのファンは、本当にスゴイ”。よくわかっていたつもりだったけど、改めてそう思いました。

 年が明けて、受付が開始すると本当の”戦争”が始まりました。4月までの3ヶ月はヨル帰宅後連日連夜にわたって受付処理、問い合わせへの対応、最新情報の告知、調整、打ち合わせの繰り返しでした。(打ち合わせは大体が夜中の0時を回ってから) 香港との打ち合わせのため、1時間の時差があり、窓口だったFrannyは明け方近くまで香港スタッフ達とチャットをしていたことも。

 香港のファン達は本当に熱心でした。JOJOなどは、一度寝てから夜中に起きてみんなと打ち合わせという生活をしている、と聞いたときには”あたしたちもそうするべきか・・”と思ったものです(ようせんかった=とてもじゃないけどできなかった  けど)。送られてくるメールや、チャットで会話していると、その一言一句から今回のセレモニー成功への気迫が感じられました。”レスリーのために失敗は許されない!”。
その重い言葉に時には勇気づけられ、ときには文化の違いもありストレスを感じ、しかし最終的には全てレスリーのため(もちろん、自分たちのためにも)にやり遂げる!でみんながまとまっていたんですよね。

 4月1日を目前にして、怒涛の日々も終え、少し時間が空いたので私は「ロード・オブ・ザ・リング」一気に鑑賞!をしました。妙に、他のことがしたいというか、ぽけーっとしたいというか、そんな気持ちで友人からDVDを借りたのでした。(で、一気にはまりました。^-^;) ”よし!王の帰還を見に行くぞ”と意気込んだのに、映画館へ行くとチケットはすでにソールドアウト。”任務が終わるまでは、気ィ散らすんじゃない”という厳しいお言葉が聞こえたような、聞こえなかったような。

 そんなこんなで、4月1日前夜、香港渡航への荷造りと、LLエントランスページの更新作業に取りかかりました(つづく)