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思えば、この世の全ての事が虚構であると思い込みたくなったあの日から、早かったような、けれど一日一日が悲しい程長かったこの一年でした。 Leslieの為に馳せる想いは、ファン一人一人の胸の中にあって、それはその人だけのものなのだと思います。昨年、SARSの為に直ぐに香港へ渡航出来なかったこともあり、“2004年4月1日その日には、必ず彼の愛した香港の地を踏んでいたい”それが私の想いでした。 そして今回、世界中のLeslieファンによって『401セレモニー』が企画されていく中で、皆と一緒に祈りたい・・・・そう思い参加させて頂きました。決して、待ちに待ったという表現ではなく、世界中全てのLeslieファンが知らず知らずのうちに何かしら、大切な大切な一つの事に突き進んできた、その思いの集大成それが『401』という日だったと思います。そして、この『401』はLeslieが神から神授されたその人生すべてをかけて体現してきた「真・善・美そして愛」そのものだったと思います。 2004年4月1日 私達を乗せた飛行機が翼を下ろそうとしたその時刻、香港の空はどんよりと曇り、滑走路には土砂降りの雨がたたきつけていました。 夜に予定されているキャンドルライト・セレモニーを心配する私に、同行の友人は「泣いてるんよ!泣いてるんよ!」と鈍感な私に教えるように言いました。“誰が”という主語が無いその言葉に私は、自分が何の為に香港に来たのか本当の理由に引き戻された思いでした。 納得したような、していないような、妙な気持ちのままホテルで着替えを済ませるとお花屋さんへ直行。うかつにも慰霊の花を作って欲しいという広東語の準備もしていなかった私でしたが、「張國榮の為のお花」というその言葉だけで、マダムは白と緑を基調にしたみごとな花束を作ってくださいました。 ありがたい気持ちでマンダリンホテルへ向かうと、すでにホテル脇には沢山の献花がされており、どうしたらいいのか・・と一瞬たじろぎ掛けたのですが、本当にたじろぐ間もなく一人の女性スタッフが近寄ってきて声を掛けてくださり、献花も、入り口へも誘導してくださいました。 決してマンダリンホテルや一般のお客様にご迷惑を掛けてはいけないという不安感や、様々な言語が飛び交う緊張感があったのですが、スタッフの方が絶えず声を掛けてくださったり、受付番号を叫び続けて誘導して下さったのでスムーズに会場にたどり着けました。たとえ言葉が分からなくても、この細心の注意を払ったスタッフの誘導がどれほど心強かったか分かりません。それでも、流石に受付で普段日本で見慣れている顔ぶれの方に笑顔と挨拶を返して頂いた時には心からホッとしました。 ホテル内では何度もこうして声を掛けてくださったり、受付番号入りのチケットの提示を求められましたが、そうした全スタッフの統一した規律行為と思いやりがあったからこそ、あれほど多国籍、多人数のファンの行動を事故なく纏める事ができたのだと思います。幾つもの国のスタッフ皆さんが、ファンだけでなく自らも混乱しないように準備、打ち合わせする事は決して容易なことではなかったであろうと頭が下がる思いでした。 黙祷を行うコノートルームへの入室が整い、韓国・日本それぞれのスタッフ代表の方が挨拶をしてくださった時、改めてこのセレモニーのスケールの大きさと、何より、プロではなく、ただLeslieを想うファンの手だけによって成し遂げられたという事実に感動していました。 各国のスタッフ、彼らの想像を絶する努力があったからこそ私達はLeslieの事を想いながら、Leslieの名誉を傷つけることなく、Leslieに愛と敬意を表し、そしてようやく静かに野辺の送りの言葉をLeslieに届けられたような気がします。 一年前、全ての事を恨みたかった私はこの日、このコノートルームで各国のスタッフの皆さん、マンダリンオリエンタルのスタッフの皆さん、マンダリンにお泊りになっているお客様、Leslieに関わってきた多くの人々、世界中のLeslieファン、そして誰よりLeslieに感謝していました。 コノートルームでのビデオ上映では、黄百鳴(レイモンド・ウォン)、雷有輝(パトリック・ルイ)、關錦鵬(スタンリー・クワン)監督、黎小田(マイケル・ライ)・・・etc.音楽、映像、プロデュース各界の著名人がLeslieの仕事への取り組み方、生き様、才能などについて語ってくださっていて、彼の努力やその芸術的センスは確かに認められていたんだと確信でき、Leslieを誇りに思う気持ちがまた増えたのは私だけではなかったと思います。 ビデオ終了後、やがて21時が近づき、キャンドルライト・セレモニーの為にアイスストリートに出てみると、なんとあれだけ降っていた雨が見事にあがっていたのです!「これはLeslieからの精一杯の私達への愛だ」とあの時、あの場にいた誰もがそう思ったに違いありません。 献花されたお花とモニターに映し出されたLeslieを前にペンライトを振りながら歌を唄い始めると、一瞬、演唱会を思い起こし錯覚しかけましたが、モニターの中にしかいないLeslieに「もう、本当にいないんだ・・・」と万感胸に押し寄せ、次から次へと溢れる涙を止める事が出来ませんでした。あちこちから聞こえる嗚咽、けれど空にいるLeslieに届けとばかりに力強く続く歌声。その合唱の声は、これからもずっと、この仲間達と一緒にLeslieを愛し続けていくに違いない私自身を確信させてくれるとともに、こんなにも沢山の人に愛され続けるLeslieのファンとして恥かしくないように生きて行かなければいけないという思いにさせてくれました。 キャンドルライト・セレモニーで泣きはらした眼もおさまらないまま案内して頂いたメモリアルホール(追想の間)。そこには、憂いを含んだ優しい横顔のLeslieが待っていました。 そして、そのLeslieをさらに聡明な耀きで覆う様に配された白いオーガンジーには幾つもの白い生花が飾られ、それはそれは、深い仁愛と、清廉さと、高貴さが漂う厳かな空間でした。そこでLeslieに静かに語り掛けているその時、足元に(おそらくドライアイスによる)白いスモークが雲海の様に広がり、さながら天国のようでした。素敵な演出に感動しながら、列の端にいた私は不思議な事に気がつきました。窓の傍の人一人立つ分だけのある一箇所だけにどうしてもスモークが広がらず、最後まで絨毯の柄が見えていたスペースが存在しました。私は自然に、極々自然にLeslieの気配を感じ、「あぁLeslie!みんなに逢いにきてくれたんだね」と胸のうちで語り掛けてました。 さらに不思議なことに、この後、マンダリンホテルからの帰り道、同行していた友人が「Leslie来てたよ。あの追想の部屋で笑顔でみんなの頭を一人一人なでて廻っている気がして仕方がなかった」と話したのです。この夜私達二人がLeslieに出会えた事を共感し、神に感謝しつつ興奮を抑えられなかったのは言うまでもありません。きっと、Leslieはあの日、世界中のファンのもとへサンタクロースさながら、駆け巡ったのではないかと思います。 翌日4月2日(ファンの間では402と言われていました)は午後から九龍灣にある 国際展示・貿易センターで「檸檬可樂」、「縁イ分」、「楊過與小龍女」の特別上映会が行われていたが、朝から体調の悪かった私は残念ながら夕方からの参加をしました。夜の部の上映作品は「我家的女人」、「煙飛煙滅」、「沙之城」、「女人三十三」。これまで観た事のなかった若き日のしなやかなLeslieの動き、清々しい表情に感動し、唯一の監督作品となった「煙飛煙滅」にLeslie美学を観、目に焼き付けられたことは大切な宝物となりました。そして、そんなLeslieがスクリーンに映し出されるたびに歓喜するホール中の拍手や笑顔に、やはり、Leslieを愛してやまない心は誰もが同じなんだと痛感しました。 香港では、この後も私達は幾つもの優しさに出会いました。今、それらは全てLeslieからのプレゼントだと感じています。帰国の途に着いた時に香港の空港で、「もう何度来てもLeslieは居ないんだ」という幾ばくかの寂寥感を味わったことは否定できないけれど、空の風となったLeslieから、それを吹き飛ばすくらいの大きな愛をもらって帰ってきたと感じています。 Leslieと401&402は、沢山の同志(ファン)との出会い、沢山の友人との出会い、彼が愛した香港での幾つもの温かな触れ合い、人を信じる心、みんなの為に生きること、世界中の人を愛すること、そして、これからも決して独りじゃないってことを教えてくれました。参加出来て本当に良かったです。お陰でいつまでも、みんなと一緒にLeslieを追い続けていく私が今、ここにいます。 Leslie貴方と、貴方を取り巻く人々、401&402のスタッフ他ご尽力下さった全ての方々、そして世界中のLeslieファンに心からの敬意と感謝を捧げます。 Leslie 私は貴方と出会えてとても幸せです。 永遠支持!張國榮。 多謝。 |